« 2007年2月 | トップページ | 2007年4月 »

2007年3月

2007年3月29日 (木)

痴漢の品格

先日久しぶりに満員電車を体験した。
終電近くの電車。人ごみは苦手だ。軽く昇天しそうになる(そんな中でも横になって寝ているフリーダムな中年がたまにいるが、あれは主なので起こしてはいけない)。
でも僕はまだいいほうだと思う。さらに大変なのは女性だろう。中にはガチで喧嘩しても勝てそうにない魁皇クラスの体格の持ち主もいるにはいるが、大体の女性は華奢であるし、そしてなにより痴漢の被害にあったりする。
最近、女性専用車両なるものがでてきた。どこまで普及しているのかはわからないが、少なくとも僕がいつも利用する電車には、その制度がある。女性しか乗れない車両。なるほど確かに効果はありそうなものである。
といっても、この制度、時間と区間が限られており、全てをカバーできているわけではない。僕が乗っていたその満員電車も対象外だった。そうやって見るとまだまだ痴漢被害に泣く女性は少なくないだろう。
ぼくは何も女性の味方だ、などと偉そうなことを言うつもりはない。ただ少なくとも痴漢被害者の味方ではある。気持ちがわかるからだ。というのも、僕もその痴漢被害者の一人なのである。

あれは中学2年生のときだった。忘れもしない山手線内周り。中学生のときの僕を覚えていたり、もしくは中学時代の僕の写真を見たことがある方はわかると思うが、その頃の僕はかなりのダイナマイトなハニーだった。きっとあの頃の僕ほど「うぶ」という言葉が似合う少年はそうそういないだろう。

そんな少年が汚された。そんな少年の股間がまさぐられた。

相手は長身のサングラスをかけた男。年はよくわからない。見定められるほどの余裕がなかった。そんなに混みあってもいない電車での大胆な犯行だった。僕と向き合って密着し、その手を僕のライジングサンへと伸ばしてきたのだ。

声が出せない。多くの痴漢被害者は言う。
まったくその通りだ。恐怖からか、恥じらいからか、まったく声が出せない。
やめてください。その一言。この上ない弱いお願い。できないんです。これ本当に。

たった何分間かのどぎめぎメモリアル。しかし僕には忘れることができそうにない。電車を下りた僕は少し内股ぎみになっていた。

しかし僕の痴漢被害はそれだけに留まらない。繰り返される悪夢。

そのとき僕は20歳を超えていた。普通に痴漢にあえば(普通と言うのもおかしいが)、文句の一つも言えただろうし、耳に噛みつけるほどの成長もしていた。そんな僕であったが、その時またしても何もできなかった。

白昼堂々。現場は電車内ですらない目白駅前の広場。

僕は時間を持て余し、電柱にもたれかかって立っていた。ポケットに手を入れて。なんのことはない、ただかっこつけていただけである。
そこに一人の男が近づいてきた。別に気に留めることもない。男が僕の前で立ち止まるまではそう考えることもできた。

なんなんだよ。口には出さないが、僕はその男を不審に思う。いきなに目の前に立ち止まってジロジロ見られたのでは、そう思うのも当然だろう。

その時だった。男が僕の前でしゃがみこみ、僕の下半身を触ってきたのだ。タッチなんて生やさしいもんじゃない。もはや撫でていると言っていい。中学2年生のあの時と同じ。空気が凍る。

しかしもうあの頃の僕じゃない。残念だったな、おっさん。あんたにはもはや陳謝しか道は残されていないんだよ。痴漢したことを悔やみな!地獄へ落ちろ!
おっさん地獄行きプランアクションスタート!・・・のはずだった。

「へー、こんなところに銅像できたんだ

まさかの一言。おっさんのその一言の前に、僕の全ての行動が制御された。う、うますぎる。なんて言い訳だ。そんなこと言われたら何もできるわけないじゃないか。

そんなわけない、そんなわけないけど、もし本気でおっさんがそう信じていたとしたら、ここで僕が動いたら彼を傷つけてしまう。あ、なんだ銅像じゃなかったんだ・・・って。僕をペタペタ触るおっさんのその嬉々とした笑顔を曇らせてしまう。そんなわけ、そんなわけないけど。。でも。。
やっぱり僕にはおっさんを傷つけることはできない。できやしない。僕は銅像です。どうぞお触りください。

僕は動かなかった。ましてや何か口にすることもない。だって僕は銅像なのだもの。目白駅前にできた新しい銅像なのだもの。

おっさんは触るだけ触ったあと、満足したのか駅の中へと消えていった。

僕はしばらくその場を動かずにいたが、やがて歩き出した。

ごめんな、おっさん。僕銅像じゃなかったんだ。
もう会えないよ。ここにきても僕はいないし、だから銅像もない。僕ももう行かなくちゃ。
でも寂しがらないで。また次の銅像がきっと見つかるから。

どうか寂しがらないで・・・。

僕は祈る。

あぁ神様。神様が本当にいると言うのなら・・・。

どうか・・・。どうか・・・。

どうかあのおっさんを・・・。

どうかあのおっさんを殺してください・・・。

いや、マジで・・・。

| コメント (3) | トラックバック (5)

2007年3月15日 (木)

不思議の国の冷蔵庫とババァ

「冷蔵庫」

①中に食べ物を入れ一定の温度に保つ

②メモを貼る。

うちの母親は冷蔵庫にすぐメモした紙なんかを貼る。マグネットでペタリ。忘れてはいけないこと、忘れたくないこと。人生において少なくない。(冷蔵庫に貼るような情報は大体人生とは深く関係ない)

母親も老化が進むにつれ、物忘れがひどくなってきたのか、ここ最近は貼りに貼る。まぁ苦労はお察しするが、それにしても、ちょっとばかり貼りすぎなのではないか。

僕が小学生のときは、その一面に貼られるのは、学校でもらってきたプリントたちだった。参観日のお知らせプリント、運動会や音楽会のお知らせ、給食の献立表(にも関わらず、給食と夕飯がよく被っていたのは、何かの嫌がらせなのだろう)。などなど。一番大事な学費なんかのプリントは見ていない。おそらくあまり興味がなかったのだろう。ババァが貼ってるプリントは大体親御さん参加型イベントのお知らせだけだった。きっとガキどもに混じるのが楽しくて仕方なかったのだろう。

中学、高校になると学校からもらうプリントの数も減り(もらっても親に渡さなくなり)、冷蔵庫の表面のフリースペースも増えてきた。学校と親の関わりなど、もはや授業料の話のみである。僕の学校は私立だったので中学から給食もなかった。(お昼に食堂で食べたものと、夕飯が被るのは何かの嫌がらせなのだろう。)

さぁこうなると、冷蔵庫はババァテリトリーとなる。学校からの配布物が減るにつれ、ババァは自由になる。学校と親の距離が遠くなるにつれ、ババァは高く飛ぶ。

そして大学に入ってしまえば、その一面はもはやすべてババァのものだった。大学側が送付してくる書類など、年に数回しかない。それもそのほとんどがマネーに関する代物だ。そんなものではババァの気を引く事はできない。お金を振り込んだら即ゴミ箱行きの運命だ。

さて、じゃあその自由になったスペースをババァはどう活用したか。

冒頭でも書いたようにやたらと貼ったのだ。

わけのわからないメモが書き込まれたカレンダー。7月13日の欄に、一文字だけ「」と書かれていたのは今でも大きな謎だ。

その隣には、うす汚れたメモがあった。「ビーフストロガノフの作り方」。一度ババァはこのメモを見て、その料理を作ったことがある。ロッテから新しく出た、肉味のガムかと思った。とにかく噛み切れなかった。2度とババァが暴走しないように、このメモは丸めて捨てておいた。

最近ババァは英会話にはまっている。この歳になって何を思ったのかは定かではないが、勉強したいと思う心を持っているのは、大変素晴らしいことだと思う。できるできないに関わらず、挑戦しようと思ったことは、すごく立派なことだと思う。

そしてババァは英単語を羅列したメモを、例のごとく冷蔵庫に貼った。

冷蔵庫の前に立つ、という日々の習慣を、勉強に取り入れるのは、なかなか意味があるように思う。ましてやババァは主婦だ。(ガムメーカーでもある)そのメモを見る機会は少なくない。

今まで無趣味で通してきたババァが、今回限りは本気なのかもしれない。

僕は少し感心し、その英単語メモを見てみた。

一番上にババァ独特の丸文字で書かれた英単語は「rabbit」。横にはうさぎと書かれていた。ババァ、本当にこんな単語もメモしないと忘れてしまうのか?今時小2でも知ってるぞ。

本人曰く基礎が大事らしい。しかし、それにしてもラビットって。

次の単語は「小人」だった。ババァ、一体何を参考にしているんだ? この先どこでこんな単語を使うつもりなのだろう。基礎はどうしたのだろうか。

次の単語は「少女」。

ババァ、不思議の国にでも行くつもりか

僕は冷蔵庫を開け、麦茶を取り出した。もうメモを見る気にはならなかった。

しかし僕はこのメモを剥がさない。例えそれに意味がなくても。冷蔵庫に重ねられ、増え続けるメモたちをもう剥がそうとは思わない。

そんなことをしてしまったら、一番下に貼られた写真が出てきてしまうのだ。

ババァは隠しているつもりなのだろう。でも僕は知っている。

一度冷蔵庫に貼られたメモやらなんやらを勝手に全部剥がした事がある。というより、どれだけの量が貼ってあるか調べてみたくなったのだ。そのときに偶然見つけてしまった写真。

数々の文字に埋もれた、鮮明な色。

僕は剥がしたそれらをすべて元通り貼りなおした。ババァにとってのキャンヴァスを勝手に汚してしまうことが、すごく悪い事に思えた。

全てが一度剥がされたことなどババァは気づく様子もなかった。

写真。

遠い昔に家族で撮った写真。

親父と兄貴とババァと僕。

ババァがアップ過ぎて、兄貴も僕も半分ほどしか写ってなく、親父に関しては手しか写っていない本当に親父かどうかすらもわからない

ババァが少し頭を冷やしてくれることを祈る。

ホラ、冷蔵庫が大きな口を開けているぞ。

| コメント (0) | トラックバック (1)

2007年3月 5日 (月)

恐怖

普段人があふれている所に、まったく人気がなくなると途端に不気味な感じがするものである。

僕のバイト先である本屋は、駅ビルやデパートに入っているような大規模な店ではなく、小さな町の本屋さんといった感じである。そのため、朝(9時~17時)はバイト二人と店長。夜(17時~23時)はバイト一人という体制をとっている。店長も帰ってしまう。

だから夜は一人でレジを閉め、一人で店を閉めることになる。

仕事自体はそこまで大変なわけでもないのだが、これがまた怖いのだ。

ホタルの光が店内に流れ、お客さんが一人、また一人と店から出て行く。

誰もいなくなってから、外に出ている棚を店内にしまい、自動ドアの電源を切る。これでもう誰かが入ってくることはない。たった一人の時間が始まる。

外から見てもわかるように、入り口の電気を切るのだが、たったひとつ電気を切っただけで、何故ここまで暗くなるのだろう。怖いじゃないか。

本のお化けが出るんじゃないか。太宰治のお化けが出るんじゃないか。ポルターガイストによりこち亀が僕に向かって飛んできたら、それはもう助からないだろう。

しかしレジを閉めるだのなんだの、まだやらなければならない仕事が残っている。まだ帰れない。

ここで僕はいつも有線のチャンネルを変える。今まで流れていたホタルの光から、なるべく明るいのに。そしてボリュームも上げる。営業時間ないでは考えられないほどに大きくする。そうして少しでも恐怖から気を逸らすのだ。

全ての仕事を終え、戸締りを確認し、僕は店を出た。いつもと同じ帰り道。ため息がこぼれた。

次の日の17時。僕はまたバイト先に向かった。今日は店長が諸事情により、店に来ていない。入って間もない新人二人だけでオープンしているはずだ。新人だけというのはいささか不安もあるが、店のバイト事情を考えると、しかたのない選択であった。しっかりできているだろうか。少しの不安を抱いた僕を、自動ドアが迎えた。

しかし・・・。

店内に入るなり僕は焦った。しまった。店内に落語が流れているのだ。それも大音量で。

僕には覚えがある。昨日恐怖から避けるために流していたあれだ

どうやら僕は昨日そのまま店を出てしまったようだ。

しかしよりによって落語チャンネルではないか。普段文学を売り物にし、落ち着いた店内が、やたらとひょうきんに様変わりしている。なんと劇的ビフォーアフター。

新人達は有線の操作方法をまだ、教わってなかったのだろうそうじゃなきゃ店内に、目黒のサンマが流れているわけがない。

僕は急いで有線のチャンネルをいつものJポップに戻し、ボリュームを絞った。9時から17時までの8時間、この店にはずっと落語が流れていたと思うと、死にたくなった。

その日の夜、僕はまた店内に一人残っていた。しかし、もう有線をいじろうとは思わなかった。昨日のミスはお化けねんかよりずっとリアルで怖かった。

全ての仕事を終え、戸締りを確認し、僕は店を出た。いつもと同じ帰り道。いつもより、少し長めのため息がこぼれた。

| コメント (2) | トラックバック (0)

2007年3月 2日 (金)

彼の話

駅近くのゲームセンターのその日その時間。UFOキャッチャーの前でカップル達が幸せってこういうことだよ、と背中で語り、彼女の横で、彼の操作するクレーンが幸せを決定づけるかのようにぬいぐるみをしっかりとつかんでいる。この後はにかんで景品を彼女に渡すのだろう。
 そんな光景がギリギリ視界の隅に入る、店の奥の奥に僕はいた。広い店内の広くない一角。そこの空気は歩いてあのカップルから数歩にも限らず、やたらと、重い。機械が発する音意外に聞こえるのは、わずか数組の男同士の会話と舌打ちだけだった。その近くの通路には、薄暗い証明がそう見せるのか、いかにも不健康そうな男達が往来する。僕もそのうちの一人だ。光を放つゲーム機の中のヒーロー達とは対照的に、僕たちはこの店内で輝きを持っていないし、またその必要もない。キャラクターも持っていない。
 おそらく仕事帰りのサラリーマン、不恰好なほどに荷物の詰まったリュックサックを大事そうに抱えるGジャン、染めた髪がムラになっている高校生、靴紐がほどけたまんまの僕。
 自分より少しでも巧い人を見つけては、一つでもその技術を盗もうとモニターを凝視する男達。決して世間での注目ではないそれが、唯一価値となるこの一角。格闘ゲームゾーン。
 UFOキャッチャーの景品にかわいぃぃぃぃーと言い、いつも通りプリクラを撮りに来た女の子は決して近づかない。間違って迷いこんでしまえばあまりの居心地の悪さに、すぐ出口を探すことになるだろう。狼の群れに羊が迷い込むようなものなのだ。まぁここにいる狼は、迷い込んだ羊の、その自分とは違う姿を見ておろおろするばかりなのだが。
 その名実ともに日の当たらない場所でその日、一つのドラマが起きた。本当に小さい小さい、ドラマ。ドラマというほどでもないのかもしれない。非日常の空間で起こったその中でも見なれない風景。この日であったこの話の主人公を僕はここでは「彼」と呼ぶ。

 彼がさっきも話した狭い通路を通ろうとしたときに、そこに人垣ができた。僕もその中にいた。彼の前進の邪魔にならないよう、みんながみんな壁にはりついた。彼はその前を頭を小さく下げて通る。彼がやろうとしているゲームの前で止まると、ある人が、彼の座りやすい位置に椅子を動かした。その人は僕がこの店に入る前からそこにいた。会話もないし彼とは知り合いという訳ではなさそうだ。彼はまた小さく頭を下げる。彼が座ろうとすると、隣りの台でゲームに熱中していた人はそっと自分の荷物をどかした。そこにいる全ての人が、彼の最適かつ最短のゲームへの道を作る。まるでそれこのゲームの中のような連携だった。僕はまだもう散ってしまったさっきの人垣と同じ位置から動かずにそれらを見ていた。
 彼は車椅子に乗っていた。詳しくはわからないが、おそらく骨折などによる一時的なそれではないのだろう。
 彼はコインを入れ、ゲームを始める。一人、そしてまた一人と敵を倒していく。順調にストーリーは続いた。その時だった。
「a new challenger」
ゲームが中断され、モニターにその文字が大きく表示される。乱入者が向かいの台に座ったのだ。
 格闘ゲームは乱入ができる。ストーリーを進めコンピューターが操るキャラクターと戦っている最中に、向かいの台でコインを入れスタートボタンを押す。「俺と戦え」ということだ。勝者のみが先に進むことを許され、敗者にはもう一度コインを入れるか去るかの二択しか許されない。人対人。ガチンコ勝負である。
 普段であれば珍しくもないこの光景に僕は少し、(今考えれば嫌な話だが)不安を覚えてしまった。車椅子の彼に対し、どう戦うのかが気になってしまったのだ。乱入したプレイヤーも彼のことは知っているだろう。遠慮だの接待だの嫌らしい言葉が浮かぶ。
 試合は一方的だった。乱入者のパンチもキックも彼は防げなかった。彼の攻撃は乱入者には届かなかった。遠慮も接待もないガチンコ勝負。彼のモニターには「you lose」の文字が浮かんだ。でも僕は嬉しかった。彼の目がさっきよりずっと輝いていたから。本気でやって本気で負けて、きっと悔しくて嬉しくて気持ちよかったのだろう。彼はちょっと動きづらい体をまた車椅子に戻した。さっきと違う人がそれを手伝っていた。
 さっきの挑戦者で今はチャンピオンにまた新たな挑戦者が挑む。乱入する。チャレンジャーと挑戦者の終わらないループ。彼はその後も何度かその輪に加わった。その度に車椅子から椅子に座り直すので一苦労だ。それでも彼は負ける度にその行動を繰り返した。他のプレイヤーが待っている時に、自分ばっかりプレイしないというマナーを彼はその体でしっかりと守っていた。
 この店で僕たちは輝きもキャラクターもない。そのかわり差別も壁もない。彼は同じ境遇で同じ立場で真剣勝負できるのが嬉しいのだろう。そしてその手助けをしてくれるみんなに小さく頭を下げる。
 手助けしてくれるみんな。会話もしたことがないみんな。ゲームの中のサークル。日の当たらない一角。日の当たらないみんな。誰も偉くないし、誰も卑下されない。
 時間はすぎ店内に人はまばらになってきた。彼はまだいる。僕もまだいた。彼は再びゲームをするために椅子に移ろうとした。それを手伝ったのは僕だった。
 そして僕は彼の向かいに座る。画面には例の文字が浮かぶ。
「a new challenger」
 境遇も立場も関係ない。技術だけの勝負。誰もが許される。その権利をもつ。ぶっつぶしてやるよ。

 僕は店を出た。敗者にはもう一度コインを入れるか去るかのニ択しか許されない。もう一度入れるコインを僕は持っていなかった。明日のバス代すらない。うちにはボディーソープもない。
 外に出ると眩しいほどのネオンが僕を照らす。あの一角とは違う空気。現実。支配。
 僕は寒空の下、そっと呟く。
「座んの手伝わなきゃよかった」 
 これを聞いたら彼は、さぞ嬉しそうな顔をしただろう。僕は頭の中に車椅子で坂を転がり落ちる彼を浮かべた。ざまあみろ。
 僕がそう思ったのは車椅子の彼に負けたからではなく、いちプレイヤーとしての彼がたまたま車椅子だったからだ。フェアとはそうゆうことだろう。
 彼の悲惨な姿を思い浮かべ僕は眠る。悪いやつらに片方の車輪だけやたらと大きく改造された車椅子に座り、いくら漕いでも前に進めずその場で回りつづける彼は、夢か現か、まぁどちらにしろ僕の頭の中の産物だ。
 それでもまたあの一角で彼を見かけたら椅子に座るのを手伝ってあげたい。けれど、それは優しさなんかじゃ、決してない。
 
 
 

| コメント (1) | トラックバック (1)

« 2007年2月 | トップページ | 2007年4月 »