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2007年6月

2007年6月29日 (金)

郵便受け

Yuubinnuke_1 一人暮らしを始めて早2年。このマンションに引っ越して早2年。

未だに、郵便受けの開け方がわからない

うちのマンションの1階には、ほとんどのマンションやアパートがそうであるように、部屋の数だけ郵便受けがある。そしてその郵便受けには、他の人から開けられないようにダイヤル式の鍵がついている。右に何回、左に何回、それぞれ正しい回数ダイヤルを回せば開くという、よく見かける一般的なアレだ。しかし僕には、その正しい回数がわからないのだ。

結論から言うと僕宛の手紙が取り出せない。

うちのマンションにはいわゆる管理人がいない。管理会社の人がたまに来ては、整備を整えて帰って行く。ここに住んだ最初の最初に、僕は管理会社に電話をし、郵便受けの開け方を聞いた。その通りにやってみると本当に開いた。1回閉じてみた。また開けてみた。問題なく開く。なるほど、ダイヤルを正解そのままにしておけば、またいちいち繰り返さなくても開くらしい。別に盗られて困るような手紙も、僕宛の手紙を盗むような輩もない。面倒くさがりの僕だ。郵便受けはいつでも開く状態にしておくことにした。

その2、3日後。いつものように郵便受けを開けようとした。が、なんと開かないのだ。いやいやそんな、開かないわけないじゃん。もう一度開けようとする。今度は力を込めたが、ガッという音だけで開かない。何度やっても開かない。やられた。うちの郵便受けのダイヤルを勝手にいじったやつがいる。一体誰の仕業だ。何が目的だ。

僕は正しいダイヤルの回し方、要するに郵便受けの開け方を留めていなかった。だって昨日までは何もしなくても開いたのだ。ダイヤル回さなくても開いたのだ。悪の手さえ伸びなければ今だって開いたはずだ。ほんとにもう。

かと言って、もう一度管理会社に電話するのは忍びない。度胸がない。もう一回教えてくださいとは言えない。だって2、3日前に聞いたばかりだ。そんなことをしたら、「あいつの記憶力はニワトリ並だ、廊下に卵を生まれたら周りに迷惑だから出て行ってもらおう」 と言われるに違いない。そんなこんなで郵便受けが開かないのは、今でも続いているわけだ。

それからの生活は大変だった。郵便受けは開かないが、手紙は読まなければいけない。かといって郵便受けを壊してしまうようなことがあれば、弁償は免れないだろう。それは困る。だとしたら頭を使うしかない。幸いにも、うちの郵便受けは密閉されてはいなかった。郵便受けの上の部分が、手こそ入らないが、指ぐらいはスッポリ入るような作りになっている。それを利用した。

そのスペースから棒を突っ込んだ。この棒には、先端にガムテープをくっつく面を表にして巻いてある。ようするに釣りのようなものだ。そのガムテープを、郵便受けの床に眠る手紙にくっつけて上まで引き上げる。うまいこと上まで来たら、指を突っ込んでそれを採る。

これが意外とうまくいく。時間こそかかるものの、目的は果たしている。僕はしばらくそうやって生活していた。ある日の夜もいつものように手紙を釣っていたら、他の住人が僕の近くを通った。近所付き合いのことも考えて、一言「こんばんは」 と挨拶をした。その人も挨拶を返そうとしたのだろうが、僕の姿を見るなり明らかに様子が変わった。足早になり、逃げるように「こんばんは」と言いながら去っていく。そこでハッと我に返った。

よく考えてみれば、このときの僕は、誰がどう見たって限りない不審者である。まるでストーカーである。そりゃそうだ。そうだよ、そう思われても仕方ないよな。こんな僕が部屋主と言ったって、誰も信じてはくれないだろう。一般的に部屋主はこんなことしない。一般的に部屋主は郵便受けに棒を突っ込んで手紙をとったりしない。

この時期からだっただろうか。うちのマンションに、「不審者注意」のポスターが貼られ始めたのは。それが僕に向けてじゃないことを心から祈る。

そんなこともあり棒作戦は中止。僕はまた知らせを受けとれない生活に戻った。ただ、もしこのまま続けていたら、次に僕に届く知らせは恐らく逮捕状だったであろう。危ないところだ。

次の手がまったく見つからない。詰んだ。管理会社にもう一度聞く気にはならないし、思いつく作戦は全て不審者コースまっしぐらだ。それに大きな疑問があった。

そもそも僕宛に重要な手紙なんて本当に来るのだろうか。そりゃ来ないとは言い切れないが、どうにもその例が思い浮かばない。電気や水道といった公共料金は引き落としにしたし、大学からの通知なんかは実家に届くようにしている。誰かにここの住所を教えた覚えもない。それまでに苦労して釣ってきたのもろくなものがなかった。近所のスーパーのチラシだの、ピザのカタログだの、エロ情報だの。前に住んでいた住人宛らしき不幸の知らせには、少しばかり感慨深いものがあったが、所詮その程度だ。それを取り出す労力を考えたら馬鹿らしくなってきた。もういいんじゃないだろうか。

そして僕は郵便受けに興味がなくなった。中身を取り出すのをやめた。

そして今現在、うちの郵便受けは手紙を簡単に取れるようになった。郵便受けの中で、ほっといたチラシだのなんだのが積もりに積もったのだろう。それが指を突っ込むだけで取れる高さにまで届いたのだ。ほっといたことが功を奏するなんて、世の中まだまだわからないものだ。おかげでなかなか快適にくらしている。

ただうちの郵便受けだけ異様に目立つ。他はすっとしているのに、うちだけチラシがはみ出ていたりする。入りきらずに下に散乱していることもある。

このままじゃいつか管理会社から、退居通知が届くかもしれない。そしたら読まなかったことにして、また郵便受けに戻せばいいか。

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2007年6月28日 (木)

Musi_1 今日学校で見たこともない虫を見た。すごかった。

本当に虫かもわからない。

最初見たときはバーバリアンかと思った。

バーバリアンが何かはわからない。

さすがは田舎の学校だ。虫なんかいくらでもいやがる。授業中に窓から虫がこんにちは、なんてことはざらにある。これからの季節もっと増えてくると思うとひどく憂鬱である。

僕は虫が心から苦手だ。どうにかして欲しい。こんなにも慣れないものって他にあるだろうか。

中でも蜂はとんでもない。人を刺すだなんて正気の沙汰とは到底思えない。だってそれで死ぬ人もいるわけで。少しは謹んで欲しい。この黄色め。

自慢じゃないが、僕は本当に、蜂が恐くて恐くて仕方ない。皆様の苦手な虫はきっとGのやつだろう。ところが僕は、それより遥かに蜂が苦手だ。見た瞬間に体が硬直し、心臓がマックスビートを刻む。向こうがちょっとでも隙を見せたら全速力で逃走だ。例えそれが授業中だったとしても、もし教室に蜂が入ってきたのに気づいたなら、僕はそっと教室を抜け出す。無事外に出れたら、今度は全速力でできるだけそこから遠くに離れる。それが説教中だったこともある。仕方ないのだ。蜂はどうしてもダメなんだって。それで単位を落としたって、命を落とすよりはずっといい。

たとえ知らない人でも、その近くに蜂がいると、「危ない!」と叫びながら突き飛ばしたくなる。そうしたら命の恩人だと感謝されるのだろうか。なんだか逆にぶっ飛ばされそうな気がする。理不尽この上ない。ただ逆の立場だったら、迷いなく僕を突き飛ばして欲しい。しかし急に突き飛ばされると泣いてしまう恐れがあるので、サインを一つ送ってくれると幸いだ。左手は全ての指を広げた、いわゆるパーの形で5を表す。右手は親指と小指を折り、3を表す。合わせて8だ。蜂だけにこのサイン。そんな顔しないでください。

僕はエレベーターに乗るときも、蜂が先に乗ってないか確認してから乗る。何度も言うが田舎の学校だ。本当にどこで虫に遭遇するかわからないのだ。増してやエレベーターのような密室での遭遇は絶対に避けなければいけない。椅子に座るときも、先に蜂が座ってないか確認してから座る。電池を買うときは、単3か単4かを確認しないで間違えて買う。

ねぇ蜂くん、僕は君に危害を加えるつもりなんかサラサラないんだよ。ハチミツもいらない。それをわかって欲しい。え? わかってくれる? うん、そっか、こっちも無駄に避けて悪かったね。じゃあ仲直りしようか。いやいや、こっち来ないでいいよ。いや、だからこっち来んなって。おい、ちょ、待てって! ぎゃぁぁぁぁぁぁぁーーーーー。 

あー虫恐い。女の子が言うような気持ち悪いというのとは違う。シンプルに恐いのだ。蜂だけではない。死に掛けのやつは、近くに人が通るとなんであんなに暴れるのだ。気持ちはわかるけど、落ち着けって。死に急ぐなって。じっとしていたほうが少しは長生きできる。まさに虫の息だ。

電車とかバスとか乗って来るなって。虫なら飛べって。

しかし今日見たあいつはなんだったんだろう。大人しくて素直な、なかなかいい子だった。ただ、すごい色をしていた。高校とかでも、普段は地味で大人しいのに、マーブルチョコ全色を散りばめたような私服を着ている子が必ず学年に一人はいた。例えるならそんな感じだ。

これでまた虫の知識が一つ増えたわけだが、僕はそんなことを学ぶために大学に通っているわけではないはずだ。

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2007年6月27日 (水)

野球バカ一代

Photo_10 帽子を深くかぶり直す。チームのエースナンバー18を背負い、僕はグラウンドに駆け出した。出来上がったこのユニフォームに、初めて袖を通したときのことは今でも忘れない。本当に嬉しかった。背中に大きく刻まれた18の数字。そんな僕に今できることは唯一つ。全力を尽くすことだけだ。チームのために。この背番号を僕に託してくれたみんなのために。野球の神様、どうか力をお貸し下さい。

相手のバッターがやけに遠く見えた。この緊迫した試合に緊張でもしているのだろうか。

それともなんだ、僕の守備位置がライトだからだろうか。

この草野球チームに入ってマウンドに立たせてもらったことはほとんどない。なんで僕の背番号が18なんだろう。一般的に18番はチームのエースが背負うべき番号だ。何かしらの悪意を感じる。まぁいいけど。

負けたくない一戦だ。僕らはその試合に、若い野球経験者を助っ人として集めて望んだ。卑怯と言われても仕方がないと思った。ところが、だ。

相手チームも同じことを考えていた。チームに助っ人を入れる作戦。それもうちのチームのような生半可なものじゃない。ふざけるな。なんだ、その明らかな外国人は。そんな立派な体格の黒人どこから連れて来た。とにかくデカい。2メーター近くある。うちも似たようなことをやってはいるので、フェアじゃないとは言わないが、いくらなんでも限界があるだろう。

只者ではない風格である。ユニフォームがはちきれそうだ。

うちの攻撃に変わる。彼はどうやらピッチャーとしての起用らしい。その黒人がマウンドに立った。腕をブンブン振り回している。正直恐い。それに対する我がチームの1番バッターは・・・僕だ。

その初球。彼が投げた球はものすごい速かった。今までのどんなピッチャーよりも。しかもキャッチャーミットではなく、僕めがけて一直線で飛んでくる。もし避けていなければ今こうしてここにいれなかっただろう。2球目も一緒だった。そこで僕は嫌な予感がした。やばい、素人だ。素人の力持ちだ。

僕はほとんどバットを振る事すらできなかった。そしてそれはチームのメンバーも同じだった。みんなただ避けるだけで精一杯だったのだ。遊びの延長で始めた草野球だ。技術よりもノリを重視する世界だ。彼を退場にしてくれる審判なんかいやしない。相手チームはそんな僕らを見て大笑いしていた。昔アフリカかどこかの国の人が、石をぶつけて獲物を狩っているのをテレビかで見たことがあったが、それと同じ光景が今目の前でリアルに繰り広げられている。こんなの野球じゃない。狩猟だ。

野球と言ったってピンからキリまである。僕らの草野球はどキリだ。さっき言った、若い野球経験者を助っ人として集めたっていうのだって、本当は人数が足りず近所でキャッチボールをして遊んでいた小学生に頼んだだけの話だ。しかもその子達がそこそこ活躍できてしまうようなレベルだった。

その黒人の方と、試合後に少し話をしたのだが、気さくなとてもいい人だった。日本語もすごく上手だった。なんでもキャッチャーのサインの中に、わざとバッターにぶりかりそうなところに投げろ、という悪質なものがあったらしい。彼は笑いながら言っていた。なるほど。悪いのは彼ではない。素人にしては、ここぞという場面でやけにいい球がくると思っていた。抜群のコントロールと脅威の球速を悪用したのは誰だ。僕らはベンチに置かれていた相手チームのキャッチャーの私服を、ビショビショに濡らしてその場を後にした。あとから聞いた話によるとそのキャッチャーは仕方なくユニフォームのまま帰ったらしい。

まぁ懐かしい話だ。僕が野球をやめてからもう随分たつ。やめたなんて大げさか。ただ行かなくなっただけだし。

先日バッティングセンターに一人で行ってみた。人通りは多い場所だが、時間帯もあってか店員の他誰もいなかった。人目を気にしなくていいのは嬉しい。しかしまぁ、バットを握るなんていつ以来だろう。こんなに重いものだったか。すぶりをしてみる。ただちょっと振っただけで息切れがする。まだボールも来ていないのに、一人でバットを握りハァハァ言っている僕は、もし他の人がいたらさぞ不審者に見えただろう。

久しぶりの感触だった。ボールを打ったときの手の痺れ。まだいける。ボールが見える。どんなもんだ。球速は一番遅く設定した。自己満足に浸りたかったのだ。ゲームが終わり、打席から外に出てちょっといい気分でタバコに火をつけた。

そのとき、店に女の子二人組みが入ってきた。さっきまで僕がいた隣の打席に一人の女の子が立つ。きゃあきゃあ言うだけで、バットはボールにかすりもしない。か、かわいい。友達だろうか、それを外で見守るもう一人もかわいい。

僕は一気に火がついた。かっこつけモード突入。本物のバッティングを見せてやるぜ。僕はタバコを消し、また打席に戻った。近くに転がっていたヘルメットを被る。バッティングセンターでヘルメットを被っているやつなど、そうそうお目にかかれるものではないが、とりあえず只ならぬやる気は伺えるだろう。そしてバットをブンブン振る。重いが多少の無理はしかたがない。そしていざマシンにお金を入れようとしたところで気がついた。お金がない。100円玉だと思っていたのが50円玉だった。

どうしよう、ヘルメット被ってるよ俺

仕方なく、バットが気に入らないそぶりをして外に出た。あ、このバットじゃダメだ。僕のバッティングに向いてない、という感じで。首をかしげてみたりして。さっきまでそのバットであんなに楽しんでた僕なのに。

素振り。さっきまでは「すぶり」だったが、今や「そぶり」だ。誰もいない時間帯だったのが本当に幸いである。

その50円でバッティングセンターの隅に置かれたテトリスをやって帰った。

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2007年6月26日 (火)

便利の罠

Henkyaku_2  2日前から電話をしても繋がらないし、メールも返ってこなくって。そりゃ心配する。そういうとこマメな奴だから。何かあったんじゃないかって。でも今日会えたそいつは元気そうだった。訳を聞けば何のことはない、どうやら単に家の電気が止められて携帯の充電ができなかったらしい。心配して損したとは思うものの、強くは言えなかったりする。かくいう僕にもそういう経験があるのだ。

それは去年のちょうど今頃のことだった。

あぁ、そうか。本当にそんなふうに思った。暗い部屋の中一人、あっさり納得した僕。確実に近づいていたその日を僕はまったく意識していなかった。
 スイッチを押せども押せども電気がつかない。一人暮しを始めてから初のことだった。電気料金を滞納していたら当然止められた。何ヶ月間か滞納するとこの日が来るらしい。僕は冷静にその事実を受け止めていた。
 ありきたりな言い方をすれば黒いペンキをぶちまけたかのようだった。明るいうちはまだよかったが、夜になるにつれ闇はいよいよ深みを増す。普段歩きなれているはずの我が家でさえ懐中電灯を使わねば、足一つ踏み出せない。何も考えずに歩くと、ペットボトルを踏んづけてすっ転ぶ。腹が立って蹴飛ばそうとすれば、テーブルに足をぶつける。僕の右足の小指が変な方向をむいているのは、きっとそのせいだ。

にも関わらず意外とこの状況を楽しんでいる僕がいた。へー本当に止まるんだなぁ、なんて。別に冷蔵庫の中になにが入っているわけでもない、別に何回かに分けて洗濯機を回さなければいけない大家族もいない。こんなときは何も抱えていないのも気楽なもんだ。   

月明かりで本を読む。おいおい、なんだかロマンチックじゃないか。確かに外にあるはずの騒音は不思議なほど静寂に返り、まるで隔離された異空間にいるようだ。闇とはこんなにも優しかったのか。暴力的でないのだ。闇は灯の下よりずっと人を許してくれる。包み込んでくれる。優しく、深く。夜に書いたラブレターを朝になって読み返したら恥ずかしくなって破いてしまったなんてよく聞く話だ。僕も、夜中こっそり書いたラブレターを寝ている間に親に読まれて、トラウマになった経験があるので朝書くようにしている。

普段は見ずともつけていたテレビも、聞かずとも流していた音楽も、今日はそのどちらもが機能しない。ただこの部屋にある音は人間一人の呼吸とページをめくる音、あとは時計の秒針。唯一電池で動く時計の秒針だけが今のこの家の文化を刻む。人間の生活において機械なんて本当は必要ないのかも知れない。人間の生活をしてるうちは気付かないだけで。

本にしおりを挟み僕は立ちあがった。
 
 最後に頭を洗いシャワーを終えた。窓のないユニットバスは驚くほどに暗い。近くに懐中電灯こそ置いていたものの、その微弱な光じゃラベルを照らすに至らず。次の朝、バスタブに転がるボディソープの容器を見て僕は自分の髪にそっと触れた。パッサパサだった。そこで初めてシャンプーとボディーソープを間違えたことに気付いた。まぁ仕方がないと言えば仕方がない。
 話を戻そう。僕はユニットバスを出る。後は寝るだけというお気楽な展開。太陽の光さえ差せば、僕は僕の顔を見れるのだ。
 ゆっくりと進む懐中電灯の光がテレビの前を照らしたときだった。その光が見覚えのあるプラスチックケースを捕らえた。嫌な予感がした。僕はそっとそれを手に取る。そこには今日の日付が書かれていた。返却日という文字と共に。

レンタルDVDだ。しまった、今日が返却日だということをすっかり忘れていた。しまった、しまった。何故僕がこんなに焦っているか勘がいい人ならわかるかもしれない。そう、その返すべくDVDは今、動かないプレーヤーの中にある

我が家ではプレステ2がDVDプレーヤーの役目も果たしている。だからDVDはその中にある。機械は電気がなければ動かない。そして今電気はうちにない。

こうなりゃ人力で勝負だ。人間様の能力を見せてやる。機械に支配されて溜まるものか。しかし、爪や毛抜きを駆使するが、トレーは一向に顔を出さない。この作業、絶妙な力加減が必要になる。本気を出せばなんとかなるのかも知れないが、相手はデリケートな機械だ。破壊してしまったときの損失はたかがDVDを返さなかったそれとは比べ物にならない。何度引っ張っても答えは一緒だった。先に折れたのは僕だった。
 かといって僕は延滞するのは嫌だ。電気代は延滞するが、レンタルビデオの延滞とはリアリティーが違う。レンタルビデオを延滞したときの、もちろんペナルティーとしての罰金もあるのだが、なによりあの敗北感が嫌なのだ。非常に悔しい。家にあるとわかっていても、仕方なく100円ライターを買うときと似た気持ち。繰り返してたらいつか自分を嫌いになってしまうだろう。

そして閃いた。これなら延滞せずに返す事ができる。でも・・・。

 暗い部屋で僕はタバコに火をつけ考える。策はある。その火だけが鏡に映り、浮いているように見える。どうするか。本当はすでに答えは決まっているのだ。ただ決心が鈍っているだけで。でももうやるしかなかった。僕が僕であるために。

 僕は DVDプレイヤー代わりのプレステ2を、コンセントからひき抜きカバンの中に押しこむ。直接持っていって、むこうで電気を貸してもらおう。恥ずかしいけど、延滞するよりはマシだ。どう考えても頭のおかしい答えだが、その時は優しい優しい闇がそんな僕を許してくれたのだ。夜書いたラブレターは夜出せばいい。朝出せないプレステ2も夜なら出せると思わせたのだ。
 
 店に入り、プレステ2をカバンからレジに出したとき、店員の女性はキョトンとしていた。当然と言えば当然なのだけれど。そして店員が何か言う前に僕は言った。


返却です

  
 事情を説明したら店員は笑いをこらえながらも、快く応じてくれた。その蛍光灯に照らされた店員の笑顔は、闇よりもずっと優しく、またずっと深かった。

こんな明るい店内にいちゃダメだ。早く闇の中へ。空のプレステ2を受け取った僕は、逃げるように店をあとにした。

しかし家に帰った後の闇は、さっきまでのそれとはまるで違い僕を責め続けた。決して許してはくれなかった。静寂もない。騒音がよく聞こえる。 「バカじゃねぇの」 だなんてあるはずもない音まで聞こえてくる。しかしこのとき仮に電気がつけられたとしても、僕はやっぱり闇の中にいただろう。この気持ちを察していただけると嬉しい。

僕はこの日、文明の偉大さを実感した。次の朝、何より早く電気会社に電話したことは言うまでもない。

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2007年6月25日 (月)

あー

A_4 風邪をひいた。栄養不足なのかな。僕はいつもどこかガタきている。

フラフラする。

頭がボーっとする。

壁の染みが人に見える。

車のオデッセイのロゴ「ODYSSEY」が小田一生に見えた。

部屋で飼っているゾウがキリンに見える。ゾウ?ゾウなんか飼ってないよ?じゃあアレはなんだろう?テラ幻覚。怖いよぅ。

もうダメかも知れない。召されそうだ。

ちゃんと書けなくて、すいません。

早く治るといいなぁ。 

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2007年6月22日 (金)

金と愛の歪み

Kanetoainoyugami_3 例え母なる大地を傷つけようとも、その文明を捨てられない僕ら人間。一度知ったその味を忘れることは決してできないのだ。そういことは少なくない。よくないとはわかっている。
 学校が終わり、日も暮れた時間になると時々僕は自分を抑えられず、その子に会いに行く。その子と過ごす時間は甘く、時に酸っぱい。今の僕がその子に会い続ける方法は、悲しく寂しいけどお金しかない。お金を払うことでしか僕はその子と会えない。ただそれが日常と一線を画すような気がして、僕にとってその時間は特別だった。
 自分を弁護させてもらえるなれば、最近の僕はどこか疲れている。うだるような暑さにやられたのかも知れない。そんなある日僕はその子に出会うことになった。とあるお店だった。普段の僕なら、まさかこんなことにお金を使うことはなかっただろう。やはりどこか疲れていたのだ。その日僕はその子に甘えた。夢中になった。
 一度覚えた甘味を人は忘れることはできない。確かに僕らの関係は歪んだ愛情かもしれない。それでも理論だけじゃ動かせないことがあるのもこの世の真実だ。本当はもっと前からそうしたかったのかもしれない。今までの僕は偽ってかっこつけて生きていた。そんな日々に疲れた。今の僕は僕らしく生きているだけだ。かっこわるい、ださい。いくらでも罵ればいい。今の僕は胸を張れる。
 もう僕はさすがに毎日とはいかないまでも、疲れを感じるたびに、癒されたくなるたびに財布の紐を緩めた。その子に会いに通う回数が日に日に増えていった。他の子には目もくれず、毎回指名するのはその子だけだった。その子の名を告げるたび、かしこまりましたと店員が頭を下げる。その子の名前を告げるたび、僕は少し恥ずかしくなった。
 そして僕の前にいつもと変わらず君は現れる。僕は確かに君を相手にするには不釣合いなのかもしれない。君は僕を前にいつも冷たい。僕の前に現れ何をするでもなくそこにいるだけだ。お金を払う僕に笑顔一つ作らず無表情を貫き通す。しかしそんな姿が逆にイジらしく、そしてかわいく感じられる。僕はてっぺんにちょこんと乗ったさくらんぼに夢中でしゃぶりつく。そんな時間が経つにつれその子の一部からとろとろと溶け出す。僕はいつもそれを口で受け止める。甘い。はしたなくても野蛮でも、それが僕なりの不器用な愛情表現なのだ。いくら舐めても突いてもなかなか底が見えない。それでも次第に、最初は綺麗に着飾っていた君が、決して人前には出れないような姿に乱れる。僕が作り出したその姿は愛しくもあり、そしてもうお別れの時間が近づいてることを教え僕を寂しくさせる。君とずっと一緒にいたい。
 それでも君は僕の前から去っていく。迷惑をかえりみず、ずっと君の側にいすわってやろうとしてもできない。それがこの店のシステムだ。他の誰かの前に出るために、また綺麗にドレスアップをするのだろう。不思議と嫉妬はしない。また会える事実だけでいい。お金でしかひきとめられない世界。お金さえ払えば君は誰だって楽しませるのだろう。じゃあ僕はお金を君の為に使おう。幻影でも錯覚でもかまわない。できるだけ君を僕の側においておきたいから。
 君に使うお金を今の僕はもったいないとは思わない。もしかしたらいつかそんな日が来るかもしれない。でも僕は今を生きたいと思うから。
 僕はお金を払いそっと店を出る。その子に会う前より足取りは軽い。僕は店で受け取ったレシートを見る。そこにはその子の名前が書いてある。トロピカルマンゴーパフェ。
 またきっと会いにくるよ。
 

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2007年6月21日 (木)

ハンドベース

Photo_9  小学校の6年生の頃だったと思う。僕達はハンドベースをやっていた。ルールは野球とほぼ同じ、ただバットの代わりに握りこぶしで玉を打つ。玉は柔らかいバレーボールを使っていた。生徒数の関係上、野球と同じように9対9の合わせて18人とまではいかないが、ボール自体がそれほど飛ばないので、少ない人数でも問題なくできた。

これがクラスで大流行した。休み時間になると、挙って校庭や体育館に出ていざプレイボール。ほとんどのクラスの男子が参加していたと思う。来る日も来る日もこの遊びに明け暮れた。少しでも遠くに飛ばせるように拳を鍛えたりしてみる。見方によっては、なんてストイックな小学生なんだ。ただ、握り拳とは言っても実際に打つ面は手のひら側。いくら硬い拳を作れたって何の意味もない。バカである。ここでもし、本当の野球のようにバットでも振っていれば、未来の甲子園スターが生まれていたかもしれない。ただ、小学生なんて軒並み非生産的だ。特に男子に至ってはひどい。とりあえず服とか汚れればなんだか満足した気になる。服の汚れと下品なギャグさえあればぐっすり眠れる生き物なのだ。うちの小学校も例外ではなく、後々なんの役にも立たないようなトレーニングにみんな明け暮れた。実際僕はこの年になっても小学校のとき以来、前から来るボールを手で打つ機会など一度も遭遇したことがない。

ハンドベースを流行らせたのは僕たち仲良しグループだった。なんでそんな流れになったのかかわからないが、うちの小学校で最初にハンドベースを始めたのは間違いなく僕達だ。そこから、あいつら面白そうなことやってんな、ということで他の仲間達も加わってきた。そうして気がついたら大集団だ。自分達がきっかけという点が、さらに僕らを熱くさせ、呪われたように毎日毎日やっていた。本当に呪われていたのかもしれない。

僕達が流行らせたということもあり、オリジナルルールもいくつか作った。メジャーなところでは投げ当て(ランナーに向かってボールを投げ、当たったらアウトにできる)なんかがある。特殊なものとしては、職員室の窓を割ったら10点、校長室の窓を割ったら20点などの破壊的ルールがあった。しかしこの窓シリーズは、一気に大量得点が望めるのでみんな狙ったが、小学生の力とバレーボールの硬さじゃ叶わず結局誰も達成できなかった。そんな中でも特にいかれてたのは、打つ瞬間に面白い事を言ったら1点という特殊ルールだ。もはやただの大喜利である。親友のT君が言った「ごめんねお父さんお母さん」が今でも忘れられない。みんなに全然うけなかったのでポイントは入らなかったが、僕だけ笑い転げていた。小学生らしいと言えば小学生らしい。

ある日を境に、そんなハンドベース人口が減っていく。今度はキックベースが頭角を現してきたのだ。同じくルールは野球と似ていて、ピッチャーが玉を転がしてバッターはそれを思いっきり蹴る。これなら手が痛くならないし、なにより玉が遠くに飛ぶのが面白い。あっという間に普及していった。理にかなっているのはわかるが、ハンドベースを流行らせた僕らとしては納得がいかない。なんとかもう一度みんなをこっちに振り向かせようと必死になった。

僕達は意地になってハンドベースを続けた。玉が遠くへ飛べばいいんだろ、打席でそれまでより強く腕を振った。それでもみんなは帰ってこない。それもそのはず、そんなことをしても飛距離でキックには勝てないのは明白である。かと言って意地がある。小学生特有の無茶がある。遠くへ飛ばせ。もっと強く振れ。

そうして一人が骨折した。例のT君だった。ハンドベースで骨折した。飛距離とのギリギリの戦いだったのだ。なんとかキックベースに飛距離で追いつこうとした結果がこれだ。こうなった以上はもう無理である。僕達は負けたのだ。完敗である。僕達のハンドベースは、彼らのキックベースにはっきりと負けたのだ。

不思議と悲壮感はなかった。それどころか、その骨折の知らせを聞いたときは大爆笑だった。お前バカだな、とみんなで笑った。子供は残酷である。ただこうして成人を迎えた今でも重々面白い。思い出しただけで噴出しそうになる。だって、ハンドベースで骨折って。T君も笑っていたのが幸いである。笑うしかなかったのかも知れない。

それから僕らもキックベースのグループに加わった。だってそっちならT君も打席に立てるし。玉が遠くに飛ぶのがすごく気持ちいい。みんなが夢中になるのが、そりゃ前からだったけど、わかった気がした。でも僕達グループはみんな、キックベースのほうが面白いとは最後まで言わなかった。

今でもT君とは仲がいい。

T君と会うとたまにその話になる。ハンドベースを守ろうと意地になったこと。キックベースに負けたこと。骨折したこと。そして大人になった僕らは、昔を振り返ってこう言うのだ。

「ハンドベースもキックベースも、どっちも別にそんな面白くなかったよな」 って。

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2007年6月20日 (水)

自炊

Jisui_2 たまに思いつきで自炊をしてみる。ほんのたまに。

コンビニ弁当なんかが、あまり体によくないだろうことはわかっている。でも、自分で自分のためだけに料理するのはなかなかどうして面倒なもので。なかなか踏み出せないのだ。いざキッチンに立つと、それはそれでなかなかウキウキしちゃったりもするのだが。

僕には料理のノウハウがまったくない。それまでほとんど料理なんてしたことがなかった。だから料理ができないのは、甘えて生きてきたつけなのだ。スパゲティーを作ろうにも、パスタを茹でる時間がわからない。パッケージの裏にでも書いてあるのだろうが、それを読むのは何か悔しい。できもしないくせに気持ちだけは料理人気取りなのだ。ある時は歯が折れるほど硬くて、ある時はガムのようになった。一向に柔らかくならなくて、おかしいなと思ったらお湯が沸いてなかったこともある。

それでもたまにうまくいくことぐらいある。何とかデンテな感じになることぐらいある。すると次の問題はソースだ。巷には暖めるだけでできるようなやつがいくらでもあるが、それは気に入らない。気持ちだけは料理人気取りなのだ。とりあえず家にあるケチャップとマヨネーズをあえてみる。そこに家にある醤油と家にあるソースを混ぜると、あっという間に、冷蔵庫にあるものだけで作った汚物ができあがる。おかしい。しょっぱい。異様に水がうまい。材料自体は全部おいしいのになぁ。この料理を「一発成人病」と名づけよう。

ただ、僕はことチャーハンに関しては少しうるさい。好きですチャーハン。

だからチャーハンを作るときはよりいっそう気合が入る。卵ひとつシンプルに。ただ僕が作っているのはチャーハンではない。似て非なるものだ。アナスイライスというオリジナル料理なのだ。味付けも作り方も完成品もまったくチャーハンと同じという僕の創作料理だ。

アナスイライス。作ってるときの僕は、いつもの僕ではない。他の料理を作るときは思い入れが違う。目は飛び、手は震え、口からは少し泡が出てくる。本気なのだ。

フライパンの上で米が舞う。例の見せ場だ。手首のスナップ。ただそれをなんの為にやっているのかはわかっていない。テレビでプロのコックがやっているから真似しているだけだ。何度も言うが、気持ちだけは料理人気取りなのだ。フライパンを返すように。

ただこれを3回以上やると、フライパンの中の米がなくなる。台所に撒き散る。それをすばやく一粒づつ拾うのが、この料理の一番のポイントだ。

一度母に、このアナスイライスを食べてもらったことがある。そのときはチャーハンと言ったと思うが。なんでそんな機会になったかは、今となっては定かではないが、まぁ思いつきだろう。僕は思いつきでしか料理をしないのだから。母さん今日は僕が夕飯作るから休んでていいよ、なんてそんなドラマは斉藤家では起こりっこない。

比較的うまくできたほうだと思う。実家だったので、普段は使えないような材料もあったし。納得の出来だ。へい、お待ち。息子の手料理だぜ。

母はまず一口食べた。続けて、今度は何か確かめるようにもう一口食べた。そうして口の中の食べ物がちゃんとなくなってから言った。

なんか色がむかつく

どうしろって言うんだよ。色ってお前。もう絶対作んねぇからな。

一人暮らしを始めたときは、毎日自炊するつもりでいた。台所用品を揃え、暴走してエプロンまで買ってしまった。ちなみにピンクのフリフリではない。その時買ったフライ返しなんか1回も使ってない。菜ばしは一度だけ、クローゼットの下に入り込んだものを取るときに使った。

こんな調子じゃいかんよな。男だって料理ができたほうがいいに決まってる。男の手料理ってなかなかセクシーだと思う。女性だってきっとそういうのに夢中のはず。

うちの親父はなかなか料理がうまい。学生時代にレストランで働いていたと言うだけのことはある。今でもたまに厨房に入っては簡単な手料理なんかを作ってみたりしている。そんな姿をかっこいいと思う。並んで立つババァも、そんな親父の姿を嬉しそうに横目で見つつ、電子レンジに卵を入れたりしている。頭がおかしいとしか思えない。ババァはあまり料理が得意ではないのだ。でも本人曰く、作るのは好きらしい。

そんなババァが作る料理を親父はいつだって満足そうに食べていた。僕が一口食べて、さすがにこれはないだろ、と思った料理さえもだ。きっとその気になったら母よりずっとうまく作れるであろう親父が、だ。その姿のほうが、うまい料理を作ってるときよりよっぽどかっこよく見える。料理をうまくつくる練習より、料理をうまそうに食べる練習をしたほうがいいんじゃないかな、とも思う。

せめて皿洗いの練習ぐらいはしといたほうが、将来うまくいきそうだ。

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2007年6月19日 (火)

思い出写真館

Omoidesyasinkan_2 僕は写真を撮られるのが大嫌いだった。嫌い、というか苦手だった。とは言っても、それはけっこう最近まで続く。写真に撮られるのが嫌だと意識したのはいつ頃だったろう?

本当に小さい頃の写真は残っている。きちんと笑顔も向けている。でもその頃の写真の僕は何故か必ずと言って良いほど全裸。赤ん坊の頃は仕方がないとしても、3歳ぐらいになってもまだ全裸。もはや性器の成長を見守っているとしか思えない仕様だ。別に今でも完結編としてそんな写真を撮ってもいいのだが、現像に一悶着ありそうなのでやめておく。

きっと小学校の高学年ぐらいの頃からだ。僕が写真嫌いになったのは。その頃から僕の写真がめっきり減る。単純に親と旅行などに行かなくなって、シャッターチャンスが減ったからかもしれないし、親が僕にきっとそれほど興味がなかったのもあるのかもしれないけど、本当にその頃の僕の写真というのは少ない。

ただこれは余談だが、うちのババァの写真はどの年代でも腐るほどある。うちは兄貴と僕の2人兄弟なのだが、僕ら2人分よりも遥かに多い。ババァなりの決めポーズというか、決め角度があるのだろう。どの写真も同じように見える。ただ髪型だけが年代によって微妙に違う。トラウマ必至の狂ったヘアカタログのようだ。それを裏返して神経衰弱のような遊びもできるのだが、当たっても外れてもムカつくので誰もやらない。とまぁ、とにかくかなり頭にくる代物だ。

その数が多すぎてあまりに邪魔だったので、何かに使えないかと考えたことがある。コップの下に置いてコースター代わりにしてみた。コーヒーがいつもより苦く感じた。

この辺で話を戻そう。僕は小学校の高学年の頃から写真を撮られるのが嫌いだった。これは今でもそうなのだけど、まず笑顔がうまく作れないのだ。にこっとできない。恥ずかしいというか、自分の笑顔が好きじゃないんだろうな、たぶん。その頃好きな女の子から「お前の笑顔ってなんかきったねぇな」 とでも言われたのかもしれない。記憶にはないけど。そのぐらいの年になって、自分の顔というものを意識して、早くも見切りをつけてしまったんだろう。自分はクール系で勝負しようと。

だからほんの数枚だけあるその頃の写真も、すっごくつまんなそうな顔をしている。別に自由研究で1日中ずっと亀の観察をしているときに撮られた写真でもないのに。あれ確か4年生のときの自由研究だったかなぁ。あんな無駄な時間を過ごした事は後にも先にもない。だって亀動かねぇんだもん。

さっきも言ったとおり、うちには兄貴がいるのだが、この兄貴の写真というのもまた笑顔で写っているものがめっぽう少ない。まったく兄弟というのは変なところで似るものだ。だから家族写真なんかがあると僕ら兄弟はちっとも笑っていない。他人がみたら虐待されているように見えるに違いない。

それは中学生なっても続く。というより中学生の頃がピークだったかな。もう撮られるのが嫌で嫌でしょうがなかった。中学の卒業アルバムを見ても、個人写真と集合写真にしか僕は写っていない。絶対写らなきゃいけないその2枚だって本当は嫌だった。かと言って、撮影の日に休んだりすると、右上にビップ扱いで表示されて逆に目立つため、それもできない。そんな僕が文化祭や修学旅行の写真にうつっているわけもなく、みんながカメラを向けられ笑顔で応える中、僕は一人隅のほうで、何故か制服のポケットに入ってる砂を必死でかき出していた。

それを立証する写真はないが、それでもそれから確かに時間が流れた。

卒業式の日が来た。泣き崩れる生徒たち、そんな中でどんな顔をしてたらいいか今一わからない僕。式が終わって、学校側から提供してくれる全てが終わったのだ。

それでも教室には名残を惜しんで、帰ろうとしない生徒たちが大勢いた。僕もその一人だ。ほとんど写っていない卒業アルバムに寄せ書きなんて書いてもらって。みんなふざけてろくなことを書いてくれるやつなんか一人もいなかったが、それが僕にとっては誇りだった。そうゆう仲間たちで良かった。寂しいだの悲しいだのは胸の内に秘めろ。そういうのは他のやつに任せればいい。俺達は最後の最後までふざけようぜ。

一通りみんなに書いてもらった後、僕は席を立った。卒業アルバムを持って。あの子に近づく。その子はたくさんの友達に囲まれていた。密かにずっと思っていた。片思いだった。こんな僕と仲良くしてくれて本当に嬉しかった。僕の青春時代に一輪の花を添えてくれた人。もう会えないのかな? 胸に秘めたはずの寂しさが、その時ばかりはあふれ出そうだった。

「なんか書いてくれない?」

上ずった声で僕は、その子に自分の卒業アルバムを差し出した。その子は笑顔で、もちろん、と言った。僕がどうやってもうまくつくれない笑顔、君はそうやって完璧にこなすんだ。君のような笑顔ができたなら、僕も少しは違ったのかな。

「そのかわり・・・」 彼女が遠慮がちに言った。ん?なんだ?

「写真・・・撮ってくれないかな?」

・・・え!?

僕は耳を疑った。なんてサプライズ。撮るよ、撮る。やばい、すげぇ嬉しい。最後の最後でこんな思い出ができるなんて。憧れのあの子と写真が取れるなんて。焼き増しして送るね、なんつってそっから文通とか始まっちゃったりして。お前写真嫌いだろって?え?誰がそんなこと言ったのさ?

その時の僕の笑顔は、彼女のそれとはいかないまでも、なかなかのものだったと思う。正直嬉しかった。それまでの学生時代の全ての過ちや後悔が、たったそれだけのことで許された気がした。

「もちろん!」

しまった、声がでかくなってしまった。でも彼女はそんなのお構いなしだ。よかった、といつもの笑顔。あぁ、やっぱり君の笑顔にはかなわない。そのとっておきの笑顔で永遠に残るツーショットを撮ろうじゃないか。

そう思った僕に彼女は僕に「じゃあこれ」とカメラを手渡してきた

ん?何やってんの?それじゃ一緒に撮れないよ?

彼女は友達と一緒にこっちに向かってピースをしている。

僕は思った。写真なんて大嫌いだ。写真撮るってそうゆうことかよ。

なんて哀れなんだ。はいチーズ、じゃねぇよ。

でもこんな悲劇ってベタだよな、それこそカメラ向けたらピースするようなもんだよな。

その時は生きているのが多少つらくなったが、今死んだらろくな遺影が残せないと思ってやめておいた。だって僕の写真は少ないからね。

今は別に写真を撮られるのは嫌ではない。みんなが写っている中に僕の姿がないと、寂しく思ったりもする。ただ未だに笑顔ではない。例えそれがどんなにふざけて写っていても。僕の写真での最後の笑顔は、卒業式のとき写るはずだったまま、思い出として引き出しの奥の奥のほうに閉まわれている。ほら、フィルムってのは光に弱いからさ。

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2007年6月18日 (月)

電車さん

Densyasan_1 僕は電車が好きだ。朝の通勤ラッシュを過ぎた昼下がりの、あののほほんとした感じ。天気のいい日に日差しが差し込む、あのゆったりした感じ。たまに人飛び込むけど。

鉄道オタクだとかそんな大したもんじゃない。好きな路線があるわけでもない。ただ、乗ってるのが好き。ポケーっと。音楽聴いてるのもいいし、本を読んでるのもいい。考えごとをしているのも乙。

ただ、それにもいくつかの条件がある。

まず電車が空いていること。これは大事。座るのを遠慮しない程度ならよし。ガラガラなら直よし。でも誰もいないのは、それはそれで嫌だ。なんだかわけのわからないところに連れて行かれてる気分になる。東京発東南アジア行き、みたいな。かと言って満員電車はちょっと。逆に満員電車が好きなんて人もいないと思うけど。痴漢にあったりするでしょう。僕もあった、過去に。おっさんに延々ローキックいれられてたこともある。ちょ、スネはやめろって。マジで。顔覚えたからな。今度見かけたらスネに画鋲しこんでやる。

僕は老人に席を譲る事ができない。なんてやつだ、って思われるかも知れないけど。そんな勇気もないし、譲ったら譲ったで失礼になってしまうような気もする。昔うちのおばあちゃんの友達が、「席を譲られて悔しかった」 と言っていた。その時は、おいおいポンコツなんてこと言うんだよ、って思ったけど確かに一理あるよなぁ。若くありたいんだなぁ。だったら僕にタバコ買いに行かせるなよ、とも思うけど。

だから僕は、席を譲ることになるぐらいなら、最初から座席に座らない。

あとは静かなことも大事だ。電車の中で大声でしゃべる人っている。信じられない。床に座ってる高校生とか。大声でゲラゲラ笑ってやがる。ちくしょう、お前ら楽しそうなんだよ。俺が失ってしまったものいっぱい持ってやがってよ。その時がくるまではちゃんと避妊しろよ。

でも不思議だ。電車の動く音、ガタンゴトンってやつが当然一番うるさいはずなんだけど、あれって気にならない。でもあれもし人が言ってたら、その人の不幸望んじゃうでしょ。その差ってなんなのだろう。

車内中での携帯電話の使用もずいぶん前から問題になっている。確かに周りからすれば迷惑な話である。だから、もしそんな状況になっても「今電車の中なので」 ときちんと言っている人には好感が持てる。本当は電話に出ること自体、マナー違反なんだろうけど。

でも、例えば街中とか電車にまったく関係ない場所で、「今電車の中なので」 と電話を切ろうとしている人を見たときのほうが遥かに嬉しい。どんなわけありなんだろう、と勝手に想像が膨らむ。携帯を口元からちょっと離して、「次はー新宿ー新宿ー」とか、声変えて言い出したらもう最高。バレないために必死なその姿、大好物です。

次の駅を知らせる車掌の車内アナウンスも、ピンからキリまである。普通に言えばいいのに、妙に節をつける車掌がいる。時として何言ってるか全然わからない。「お出口は、ハァンッ側です」とか。どっちなんだよ。落ち着けよ。この電車そんな出口ねぇよ。

あとは目的地。遊びに行くときに乗ってる電車なんてそりゃ楽しい。でもこれが例えば被告として裁判所に行く途中とかだったら心中穏やかじゃないだろう。っていうか被告って裁判所まで電車で行くの? いや、知らんけど。僕はデートもできれば電車がいい。

でも大体の女の子はドライブとか好きなんだろうな。その気持ちはわかる。僕だって女の子だったらドライブで綺麗な夜景が見えるところに連れて行かれたら、きっとジュンってしてしまうだろう(ジュンってなんだ)。

そりゃそんなデートに憧れはある。でも、なんというかな、それって僕にとってちょっとかっこよすぎるんです。大人びてるというか、もし今の僕がそれをやったらきっと無理をしている感は否めない。もっとまま事のようなデートがいい。例えばジブリ映画の主人公が高級車に乗ってたら引くでしょう。そんな感じ。いや僕がジブリ映画の主人公だなんて言うつもりは毛頭ない。だって僕はいろんな意味でかわいそうなピーターパンだし。ただ、あの世界の温度が好きだ。まぁどっちにしろドライブデートなんかできないんだけどね。原付の免許しか持ってないし。

そんな僕の電車ライフ。大げさになるけど人生にも似ている。

僕の人生は、まぁ各駅停車ってとこだろう。人身事故でよく止まったりもする。

ただ今は逆方向の電車に乗り間違えないようにしよう。乗り換えるときはきちんと確認しよう。進む道を教えてくれる車内アナウンスはきちんと信用できる人に頼もう。

はぁ、人生も本当に本を読んでいるだけで、音楽を聴いているだけで、前に進んでくれたらいいのに。

大げさになるけど電車と人生は似ている。

前に進むにはどっちも金がいるんだよな。

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2007年6月15日 (金)

ジョギング

Jyoginngu_1 最近、運動不足解消のためにジョギングを始めた。

体力の低下が著しすぎる。僕はこれといった運動はしないし、タバコもガンガン吸う。たまに急ぎで、駅まで走ったりすると、息切れと動悸とめまいが、ちゃんと手をつないで訪れてくる。お前ら仲良すぎなんだよ。まったくこれはまずいじゃないか。

それに運動は健康状態に大きくプラスらしい。今まで健康状態を気にして生きてきた事などなかったが、そりゃいいほうがいいに決まっている。そういえば体内から悲鳴が聞こえる気がしていたが、これで大人しくなるだろう。

いいこと尽くめじゃないか。ぐっすり眠れそうだし。

そんなわけで始めたジョギング。しかし根性なしの僕はこういった日課系にめっぽう弱い。不覚にも、僕の特技には、「前言を撤回すること」 が入ってしまっている。いつも気がついたら飽きていた。毎日やっていたことが2日に1回になり、3日に1回になっていく。筋トレもそうだった。最初は必ず毎日続けると意気込んでいたのに、今じゃ3ヶ月に1回程度だ。これは急な思いつきで筋トレをしたくなるのとリンクする。三日坊主とは言わないが、気がついたら記憶から抹消してしまう節がある。

だからとりあえず雨が降ったらお休み、眠かったらお休み、足に違和感を感じたらお休み、足に違和感を感じるような気がしなくもない日もお休み、その他何かあったらお休み、と大甘設定にした。こうゆうのは続けることが大事なのだ。今みたいな時期は雨が多いが、大丈夫。それなりに走っている。

ジョギングを始めたおかげで体調はすこぶる悪い。あれ? おかしいな。

まず食欲が失せた。そして足が痛い、体が痛い、吐き気がする、天然パーマ、などの症状が襲ってくる。普段から運動している友達に聞けば、慣れてくるにつれ改善されるものらしいのだが。とりあえず信じてみようか。

ただ目標を達成するというのは気持ちがいい。僕がここで言う目標とは、毎日走り続ける、といった類のものではない。例えば、あの地点まで止まらずに走ろうといった感じだ。そうすれば、「なんだよ、自分できるじゃん」 と感傷に浸ることができる。達成感も生まれる。何か結果が出たわけでもないのに、不思議と満足する。ここでのポイントは、必ず走りきれる地点に目標を定めることだ。そうすれば必ず達成できる。完全な一人プレイだが、これが次へのモチベーションにつながるのだ。こうゆうのは続ける事が大事なのだ。

 でも僕の走っている顔は、はっきり言ってひどいものがある。疲労感丸出しである。歪んでいる。きっと小さい子供ぐらいなら泣かせるだろう。妖怪カードとかになっても遜色ないと思う。それでも走っているときに、前方から女の子が歩いてくると、ついキリッとしてしまう。だってホラ、かっこよく見られたいし。余裕アピールだ。スピードに関しても若干上がってしまう。おかげでその反動がひどい。すれ違ったと同時に大きく崩れる。振り返られたら終わりだ。路肩で吐き気と戦っているところなど見せられるわけもない。え? あ、いや、おばあちゃん、心配しないで下さい。休めばすぐよくなるんで、はい。え? いやいや、だから仲間呼ぶなって

 今はまぁそれなりにやってるものの、どこまで続くかはわからない。明日になればもう止めている可能性だって否定できない。ただせめて、ちょっと走ったぐらいで、吐き気や体の痛みを訴えることがないぐらいにはしたい。駅まで走ったところで、例の三角関係に困らされない程度には持っていきたい。天然パーマに関しては、いつかそのままのスピードで美容院に駆け込めばいいのだ。そうした時に、息切れしていて注文できないようじゃかっこ悪いものな。

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スーツスーツ 

Photo_3 最近大学内で同学年のスーツ姿の学生をよく見かける。就職活動、いわゆる就活だ。

みんながそんな闘争の日々を送る中、僕は一人間違えて逃走を始めてしまった。そんなレールから外れた僕だから、彼らに比べあまりスーツを着る機会がない。雑誌やメディアの情報によれば、どうやらスーツを着てると普段よりかっこよく見えるらしい。それがセクシーだと言う。なんとなくわかる。スーツを着てるってだけで、普段はおっぱいの話しかしないやつが、ちょっとだけまともに見えたりもする。まぁそいつが口を開きさえすれば、すぐにとけるインスタントの魔法だということもわかってはいるのだが。

でも、そんな僕だってスーツを着ることぐらい、あることはあるのだ。無難な黒のスーツ。でも現実と仕入れた情報とは違い、モテてる気は一切しなかった。この前だってそうだ。死んだじいさんの何回忌。モテようにも血の繋がらない来訪者はババァばかりだし。僕を見るどころか、出された寿司に夢中である。僕にしたってまずそんな場で、たまに着るスーツに浮かれていること自体、死んだじいさんに申し訳ない。あの世であったら謝ろう。手土産にプリンの一つでも持っていけば、文句も言うまい。プリンを好きだった記憶はないけど。ほら、だってあれ柔らかいし。

いいなぁ、スーツ着たいなぁ。

僕が初めてスーツを着たのは大学の入学式のときだった。別に当時はスーツなんてこれといって興味がなかったし、なんか入学式ってスーツ着なきゃいけないものらしい程度の意識だったので、いい加減に選んだ覚えがある。買うのも近所の店で済ませた。値段ははっきりとは覚えていないが、ただでさえ安い店の中で、一際安かったと記憶している。変な色の裾が短いイカしたスーツだった。色彩に知識がない僕は、この色をうまく説明できない。ただとにかくみどりがかった変わった色のスーツだった。

そのスーツを初めて着た。入学式の前日だったと思う。確かにそれほどスーツに興味はなかったが、それでも大分ドキドキしたことを今でも覚えている。だって初めてのスーツだ。高校時代の制服がネクタイ着用だったために、その巻き方には心得がある。いつもの手順でネクタイを巻く。でも今までとは違う。僕はこれから大人を着る。そして、いよいよスーツに袖を通した。鏡に映った姿に僕は、なんだかピンとこなかった。こんなもん?こんな感じでいいの?

親に見せてみる。息子の晴れ姿だ。少しだけ緊張に近いものがあった。変じゃないかな?

しかし親はまさか大絶賛。手放しで褒めちぎってくる。そりゃ誰だって、そんなことされたら嬉しくないわけがない。そうだよな、変じゃないよな。照れ隠しでそっけない態度はとるものの、内心はまるでぐるりと違う。よっしゃ来た、時代来た。僕はその格好をおばあちゃんに見せ、その格好のまま家の周りを一周した。みんな見て見て! スーツ最高! そんな気分だった。

そしていざ入学式の日。僕は前日の勢いそのままに意気揚々と乗り込んだ。しかしその意気込みはすぐに後悔に変わる。明らかに浮いている。みんなシックなスーツを上品に着こなしている。それに比べなんで僕のはこんな色なんだろう。あんなに浮かれたのが恥ずかしすぎる。哀れなピエロの第一人者である。僕は落ち込んで家に帰った。夕焼けを背に浴び、それでもスーツの色は変なままだった。

それから幾月か過ぎて、家族でそのときのことを振り返る機会があった。

「初めてあのスーツ着たの見たとき、カナブンかと思った」

そっか。お母さん、気を使ってくれたんだね。そうだよね、息子の初めてのスーツ姿だもんね。カナブンだなんて言えないよね。心配してたら褒めちゃうよね。その優しさ、ありがたすぎて頭から水ぶっかけたくなっちゃう。早く言ってよ。ねぇ。そういうの早く言えよ。そこで僕は学んだ。スーツは無難が一番だと。安ければいいものじゃない、と。

おばあちゃんはこう言った。

ウグイスが紛れ込んで来たのかと思った」

もう何も言えねぇよ。言いたい事はわかるけど意味わかんねぇもん。

そんな苦い思い出もある。

そんな苦い思い出が僕をスーツから遠ざけているのかも知れない。

スーツを着るのが特別じゃなくなった日、その日が来るのが今はまだ怖くもある。ピーターパンに似合うスーツがないことも知っている。でも今はスーツが着たい。それは少なからず僕がスーツを着れる年齢に近づいたからだろうし、その反面まだ大人じゃない証拠でもあるだろう。もちろんモテ要素も考えてのことだが。

カナブンは今、押入れの奥の方に眠っている。

防虫剤でやられないか心配で、僕は眠れずにいる。

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2007年6月14日 (木)

騒音創世記

Photo_5 漏れてくる音楽。

例えば電車の中。例えば店の中。

イヤホンなりヘッドホンなりからその人の聴いている音楽が微かに漏れてくる。

世間的にはマナー違反な行為だ。中にはわかっててやっている人もいるだろうが、大体の当事者は音が漏れていることを気づけていない。

だからその音で多くの人に迷惑がかかっていることにも気づけない。

でも悪そうなお兄さんがアイドルの曲なんかを聴いているとわかると、なんだか不思議と嬉しい気分になったりもする。

自分の好きなアーティストを聞いているとわかると、それだけでいい人に見えてくる。

もちろん逆のパターンもある。むしろそっちがほとんどだ。気分を害したり、嫌な人に見えたり。

でもこの音漏れってけっこう恥ずかしいことだよな。うん。

僕はプレイヤーに幾多の曲を入れている。

人に聞かれたら恥ずかしいアニソンから、人に聞いて欲しい名曲まで。

様々なジャンルの様々な曲が入っている。それをいかなる時もカバンの中に入れて持ち歩いている。

アニソン。はっきり言って隠してるよ。だってモテたいし。

みなさんもそうゆうものってないですか?自分は好きで好きでしょうがないのに世間の目を気にして隠してしまうもの。

もうなんだか爆弾を持ち歩いてる気分だ。

こいつがまた無意識のうちに鳴るんだ。きっとカバンの中の他の物にぶつかってボタンが押されてるんでしょう。しかも静かなときに限って。ホールドかけといたつもりなのに。

急いで止めます。

その曲がアニソンだと3倍速になります。そりゃもう急いで。

僕のプレイヤーは形が100円ライターにそっくりである。そしてまた本物の100円ライターもカバンの中に入っている。カバンの中を手探りで探すわけだが、焦るとどっちがどっちだかわからない。

静かなある室内。聞き覚えのあるアニソンが流れてくる。間違いない、僕のカバンの中からだ。一刻も早く止めなければ。どこだ。カバンの中を闇雲にひっかきまわす。あった。僕はそれを手に握り、カバンから手をひっこぬく。手にはライターが握られていた。僕はそんなとき癖の照れ隠しでニヤニヤしてしまう。なんて間抜けなんだ。ライター握り締めて一人でニヤニヤしてるよ。それでもアニソンは止まらない。みんなが僕を見ている気がする。アニソンに包まれている僕を。いや、そんな期待されても、これ、ただのライターですよ。ロボットも操縦できなければ、変身もできませんよ。

誰もそんなこと望んじゃいないって。

死んだ方がいいのかな。

僕は人前ではなるべく小さい音で聞くようにしている。音が漏れないように。

その代わり誰もいないところでは爆音。例えば電車の中では小さい音で聴き、降りた途端に爆音に引き上げる。そして駅から続く道をノリノリで歩く。これがまた気持ちいい。特に誰もいない夜道なんかは最高だ。耳元で演奏するアーティストたちと、つい一緒になって歌ってしまったりする。

ただ、ここでまた注意しなければいけないことがある。夜道誰もいないと思って歌っているときに限って人が通る法則だ。歌い続けるのは恥ずかしいし、歌うのやめるのも恥ずかしいし。どうすればいいって言うんだ。

誰もいないと思ったある日の夜道。僕は例のごとく気持ちよく歌っていた。そしてそのまま駐車場を通りかかったときのこと。たまっている、不良たちが。あーあ、人生終わったって思いました。だって僕ちょっとモノマネまでしてたし。あー、また僕ニヤニヤしてるよ。不良たち引いてるよ。なんとか無事にかえれたもののダメージは少なくなかったです。えぇ、もちろん心のです。

死んだ方がいいのかな。

本当にマナーは大事だと思う。人のためにも、そしてなにより自分のためにも。どんな名曲だって、とある条件下では台無しになる。社会という枠組みの中だ。自分が一人で生きているわけでは決してない。恥をかくまえに引き返せ。恥をかいていると気づける地点に引き返せ。僕のような失敗を見るのはもうたくさんだ。

ボリュームを上げすぎている人にはそんな僕の声も届かないのだろうか。

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2007年6月13日 (水)

高校生~嗚呼青春の日々~

Photo_6 大学生になって、二十歳をすぎて。高校時代がずいぶんと懐かしい事のように思えてくる。まぁ世間からみたら大して差はないのだろうが、高校生の彼らを見ると僕なりに、

「あー若いなぁ」

なんて思ってしまう。

正直戻りたい。正直羨ましい。

僕にももちろん高校時代があった。もちろん当時なりの悩みもあった。恋だとか、友達だとか、なんでこいつ弁当にポタージュ持ってきてるんだろうとか。悩んではいた。

高校時代、僕はモテたくてモテたくて仕方がなかった。毎朝鏡の前で髪をセットし、できるだけクールを装おうと努めた。はっきり言って思いっきりカッコつけていた。香水なんかも初めてつけてみた。女子との交流の機会なんてほとんどなかったが、それでもいつも女子の目を気にしていた。ある日食堂でラーメンを食べているときに、つい不注意でどんぶりを持ったまま、後ろに倒れこみ、スープのほとんどが制服にかかった。しかし着替える時間も洗う時間もない。そんなことをしていたら次の授業に遅刻してしまう。しかたなく僕はとりあえず表面を拭き、染み込んでしまったのはそのままにして授業にでることにした。午後の授業中、教室内に鶏がらの匂いが充満した。とてもじゃないが香水なんかで誤魔化せる匂いではなかった。匂いのもとはすぐにバレた。だってみんなが白いYシャツを着ている中、僕だけ明らかに黄ばんでいる。僕はその日からしばらく「中華一番」と呼ばれていた。僕の高校時代の一部が終わった。

高校時代、僕はモテたくてモテたくて仕方がなかった。自分で言うのもなんだが、僕は人と比べて運動神経が悪い方ではないと思う。そして、その頃は運動神経がいい奴は、軒並みモテる。サッカー部のあいつ然り、バスケ部のあいつ然り。その頃の体育の授業の種目は高飛びだった。背面飛びだのなんだのでバーを飛び越えるアレだ。そのテストの日が来た。高さは申告制。各自飛べるであろうギリギリの高さを勝手に決めていい。僕はクラスで一番高い高さを申告した。テストは一人一人行う。みんなが見ている。女子が見ている。これを飛んだら女子の僕を見る目が確実に変わるだろう。だってクラスで一番高く飛べる男だ。こんなチャンスはない。実際にバーが設置されると予想以上に高い。それは遠くにいてもわかった。ただ、僕は飛ぶ。明るい学園生活の為に。

助走を始める。いいぞ、スピードがのってきた。

バーが近づく。高く飛ぶんだ。とにかく高く。高く。

結果は至らなかった。僕のジャンプはバーに届かなかった。ただ普通なら、例えそれでも称えられただろう。一番の高さに果敢にチャレンジしたのだから。しかしそんな僕に向けられたのは、女子からの哀れみを含む冷ややかな視線と男子からの爆笑だった。僕のジャンプはバーに届かなかった。しかしそれは高さではなく距離の話だ。僕はとにかく高さだけを追求した。そしてバーの手前にそのまま落っこちた。高く飛ぼうとするあまり、真上に飛んでしまったのだ。前に飛ぶことを考えられなかった。ようするにその場で背面飛びをして落下しただけの話だ。もちろんマットはない。マットはバーの向こう側だ。僕は背中から思いっきり地面に落下した。僕の高校時代の一部が終わった。そして、そのことのほうが地面に激突するよりずっと痛かった。

当時、どうゆうのがモテるか研究してみた。かっこいいやつ、背が高いやつ、運動できるやつ、悪そうなやつ、優しくて気が利くやつ。そのどれもが僕ではないことはわかっていた。でもモテないからと言ってモテたいのはかわらない。モテないからモテたいのかも知れないし。じゃあ何ができるか毎日のように考える。無駄とも思える努力をする。そんな日々も一つの青春だったと思う。今高校時代に戻れても繰り返したいとは思わないけれど。僕だって人並みに恋もした。

街中で制服を着たカップルを見かける。きっと高校生だろう。手をつないだり、自転車に二人乗りしたり。僕のできなかった経験だ。正直羨ましい。決して応援なんかはしてやらない。でもそんな景色がなくなってしまったら、それはそれで不思議と寂しい気もする。今の高校生がそんな付き合い方をしているのか知らないけれど、少なくとも僕にとって高校時代の付き合いというのはピュアを含んだものだった。

この前母校の制服を着たカップルをとある駅で見かけた。後輩か。僕はOBで先輩であるけれど声をかけたりはしない。手をつないだその見慣れた紺の制服姿。並んだ二つの影。それはまさに当時僕の憧れていたものだった。僕の手の届かなかった景色。先輩として羨ましくもあり、微笑ましくもある。

僕は何気なくその子たちの顔を見てみた。後輩だと思ったらなんと同級生だった。

後輩だと思ったらプレイだった

引くわ。大学生になって二十歳を過ぎて。それでもそれを見なかったことにできるほど僕は大人じゃなかった。

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2007年6月12日 (火)

ハッピーエンド

Photo_7 ようやくペットボトルが抜けた

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ペットボトル

Photo_8 暇だったので、ペットボトルに指を入れて遊んでいたら抜けなくなった。左手の薬指と小指。二人の戦士は今、一つのダンジョンから抜け出せずにいる。

今もその状態。まぁ利き手じゃないからいいものの、慣れているはずのキーボード打ちすらうまくできません。僕、今頑張ってるよ。

一生このままだったらどうしよう。不便だな。

でも逃げ出したって、何も始まらない。向き合おう。プラスに考えてみよう。

この左手でプラプラしてるペットボトル。きっと何かに使えるはずだ。

とりあえず、ラベルを外そう。そっちのほうがなんだかシンプルでかっこいい。僕は改造人間だ。人体に兵器を組み込んだのだ。

とりあえず背中をかいてみる。広範囲を捉えられてなかなかいい感じだ。ただ一向に肝心のかゆみが治まらない。何の意味もない。

硬いから、ほら、それでも俺の指は硬いから。だってペットボトルだもの。

とりあえずテーブルを叩いてみよう。うまくいけばトンカチいらずだ。

よいしょ!

少しだけ涙が出た。ばっちり痛い。指が折れたかも知れない。ペットボトルに覆われてる部分は平気だったけど、これじゃ指の根元が持っていかれる。

違う、違うよ。そうじゃない。

ペットボトルの底面で殴るんだ。殴るというか押し込むというか。突くというか。

よいしょ!

・・・痛くない。これはすごい。なんて新しい発見なんだ。

ただ指はもっと深く入ったみたいで、さらに抜けにくくなったようだ。

そう簡単にうまくいかない。まぁ誰だって最初は環境の変化に戸惑うものさ。

僕はタバコを口に咥え、火をつけた。

すごい匂いがする。ライターの火の熱でペットボトルが溶け出したようだ。

冷まさなきゃと思ってぶんぶん手を振ってみた。

すこしだけ涙が出た。ペットボトルの部分が思いっきりテーブルにぶつかった。ばっちり痛い。これはもうたぶん指が折れている。

何やったってダメだ。うまくいきやしない。

僕はその場に寝転がる。ふて寝だ。その時いつもの癖で何気なく頭の下に入れた左手。ペットボトルの左手。

まったくなんてフィット感なんだ。ペットボトルがちょうど枕がわりになる。普段から硬い枕愛好家の僕にピッタリじゃないか。

もうこのまま寝てしまおう。せめていい夢が見れればいい。むにゃむにゃ。

あれ? おかしいな。ちょっと首が痛くなってきたぞ。

僕は左手を頭の下から外す。

まぁいいんだ。僕は寝るから。別に左手にペットボトルが付いてたってなんら睡眠に弊害があるわけじゃない。

目を瞑って現れる闇。その闇よりさらに深い闇へと吸い込まれていく。こんにちは睡眠。いや、こんばんはが正しいのかな。

僕は寝る。続きは明日・・・また・・・考えよ・・・う・・・―。

パキィッ!!!!

「何!?」

まどろみは一瞬にして切り裂かれた。ビックリして心臓が止まるかと思った。

ペットボトルが鳴った。多分枕代わりにしたときにヘコんだのが元にもどったんだろう。その時の音なんだろう。

もう嫌だ。役に立つどころか邪魔ばかりだ。

もう怒った。本気で抜いてやる。指ごと引っこ抜くぐらいの勢いで勝負だ。

痛い。すごく痛い。しかし覚悟の上だ。

んぎー。

スポンとみごとな音がした。そこにはいつも通りの指と、いつも通りのペットボトルがあった。抜けたのだ。ようやく。開放されたのだ。

抜けてしまえば、今までのことがすごくバカらしく思える。一安心だ。入ったものが抜けないわけがない。こんなことで四苦八苦するなんて愚かな話だ。

そうだ。抜けないわけない、抜けないわけがない。じゃあもう一回いれても大丈夫。もう一度あのスリルを楽しみたかった。僕は意味不明な方程式と、わけのわからない好奇心で、もう一回指をペットボトルに入れてみた。

また抜けなくなった。でもなんか今度はもう抜かなくてもいいと思った。そして今のこの状態。

ペットボトルの中での僕の指はまるで宝石の様に赤い。

またその赤はきっと危険信号の赤でもあるのだろう。

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