« 2012年9月 | トップページ

2012年12月

2012年12月30日 (日)

リンゴジュースリンゴジュースご臨終っす

瓶に入ったリンゴジュースというのは、なぜこうにも艶かしいのでしょう。美しいのでしょう。
眺めてうっとり、唾ごくり。夜は抱いて眠ろうかしら、なんつって。あぁ、さぞ!さぞおいし

 

お母さん「ごめん、栓抜きなかった」

 

飲めない。開かない。in家内。

 

僕「いやいや、栓抜きない家ってどうなのよ」
お母さん「5年前のプリンならあったけど、食べる?」
僕「違う意味でプッチンしちゃうぞ」

 

これがねー、飲めないとわかると、さらにさらに美味しそうに見えるから困ったもので。もうね、俄然飲みたいわけです。これを口にできるなら、友達に借りたドラクエ(スーファミ)返してもいい。間違ってセーブ消しちゃったこと、謝ってもいい。

 

僕「なんか代わりになりそうなもの、ない?」

 

代わりになりそうなもの…?

 

こうして、斉藤家による年末舞台「ハチャ☆メチャ!栓抜き珍道中〜開かぬなら何とかしようリンゴジュス〜」は幕を開けたのです。

 

〜3分前までのあらすじ〜

お歳暮で高そうな瓶入りリンゴジュースが届く。しかし栓抜きが不在のため、開けられない。だから飲めない。でも飲みたい。(了)

 

お母さん「うーん、代わりになりそうなものねー」
僕「あ、これは?」
お母さん「おお!」
僕&お母さん「キッチンバサミ!」
僕 「これはイケるんじゃない?」
お母さん「イケそうなKE☆HA☆I〜!」
僕「う、うん…(なんでこの人テンション上がってんだろ…)」

 

お母さん「おし貸せ!坊主!」

 

さぁ、先陣を切るのは、何かと便利なキッチンバサミ。あーこれイケるわ。不可能ねーわ。そうそう、刃をね、瓶の細いとこにあててね。

 

お母さん「ダメ、切れない!」

 

オリハルコンかと。切れるわけねーだろ。違うよ、刃を王冠の下に入れて、テコの原理でグイっと行くんだよ。グイっと。グイッと。うん、行きゃしない。

 

僕「あーダメだねー」

 

何度試そうとも、ガッガッという音がむなしく響くばかり。せっかくの美しい瓶にも、小さな傷がまた一つとついていきます。これはいけません。

 

ハサミで開けることを諦め、再び栓抜き代わりを探す僕ら。ああでもない、こうでもないと家中を物色していると…。

 

お母さん「ちょっと手出して」
僕「え?はい」

 

うわ、冷たっ!しかも何かすげぇヌルヌルするんだけど!

 

僕「いや、何これ!?」
お母さん「あぶら
僕「あ、油?」
お母さん「すべりがよくなるかと思って」

 

それは、あれじゃない?指輪がとれないときとかのやつじゃない?

 

僕「いや、むしろ瓶持つのすら、ままならないんだけど」
お母さん「んー、これ違うかな?」
僕「絶対違うよね。なんでぶっかける前に、一言相談してくれなかったの?」 

 

お母さん「そうだ!ちょっとそのまま抑えてて!」

 

そう言って、何かを探しに戻るお母さん。どうしよう、手ぇすごいヌルヌルしてる。一刻も早く洗いたいんだけど。

 

「あったあった!」。さて、そう言って嬉しそうに戻ってきたお母さんの手には、しっかりとライターが握られていました。

 

お母さん「これで焼き切るわ!しっかり抑えといてね!スリー!ツー!ワ

僕「待て待て待て待て!」

 

多分焼死しちゃうなぁ、それ。俺今、油まみれなんだよなぁ。

 

お母さんに火遊びの危険性を説いた後、舞台は新たな局面へ。しっかりと手を洗った僕らの瞳が次に捉えたのは、繊細な彫刻がほどこされた銀のフォルムでした。 

 

お母さん「こ、これは…!」
僕「そうか!その手があったか!」
僕&お母さん「カニほじるやつ!」

 

鳴り物入りで我が家にやってきたものの、いまだ登板機会のなかったカニほじるやつ。今こそ、その真価を発揮するときです。

 

どうしてだか二手に分かれてる先端を王冠の下に潜り込ませて〜、下からぁぁぁぁあああ、押す!

 

僕「ふんっ」
「プスー」
僕「い、今!音した!プスーって!何か開きそう!」

 

もう一度さっきの要領で下からぁぁぁぁああああああああ、突き上げる!

 

僕「ふんっ」
「プスー」
僕「やっぱり!これイケそうじゃない!?」

 

お母さん「プスー!プスススス!」

 

あ、音源こいつだったわ。壊れかけのラジオだったわ。

 

僕「な、何で笑ってんのさ!」
お母さん「ふんはお前だよ!」
僕「それどういう意味!?」
お母さん「そんなヘッピリ腰じゃ全然ダメ!貸して!」

 

二人の子どもを産んで、早幾年。雨の日も、風の日も、育児に従事してきたこの身体。今こそ見せよう、主婦の力を…。いや、何でもいいから早くやれ と。

 

お母さん「カァァァァァ……!」
僕「な、何と言う熱気!」
お母さん「フゥゥゥゥゥゥ……!!!」
僕「いや、目とか飛んでるけど、本当に大丈夫!?」
お母さん「な、なーに、こんなの楽勝楽勝…(プルプル)!」

 

いや、画的には相当キツいけど、これは本当にイケるかもしれません。さすが、さすがのお母さんだぜ!

 

お母さん「あ……ゴフッ!」

 

ゴフって?え?何か口から丸いの出たけど?

 

お母さん「ご、ごめん。それ、さっき食べたうずらの卵

 

お前はピッコロ大魔王かと。

 

僕「おいババァ、何うっかり出産してんだよ…」
お母さん「…タモリ…(意味不明)」

 

産卵直後の老婆にこれ以上の無理をさせるわけにもいかず、結局「カニほじるやつ」作戦は中止に。再びスタートラインまで戻ってしまいました。

 

アレもダメ、これもダメとなると、残るは………。

 

………えー、マジか……。

 

あるっちゃ、あるんだよなぁ。人の体内には、僕の口内には。確かに栓抜きの代わりになりそうなものが。ねぇ、歯、聞こえる?何か出番っぽいけど、調子どう?

 

でもすでに、僕、前歯一本折れてるんだよなぁ。そう、差し歯なんです。リーチなんです。あまりにもね、リスクが大き過ぎる。さすがにこれ以上歯を失うわけには…

 

リンゴジュース「寒いなぁ…まだかなぁ…」

 

今行くよ。好きだよ。

 

僕は意を決して、リンゴジュースのビンを両手で掴みました。そして、栓に歯をガッチリと引っ掛ける。口の中には、決して楽しくない金属の味が広がります。

 

グ、ギ、グ、ガ、ガァ…!

 

僕の歯が召されるのが先か、それともリンゴジュースが開くのが先か。今、誰にも注目されることのないバトルが、ここ斉藤家では繰り広げられています!

 

攻める斉藤軍、守るリンゴ軍。そして、この流れに飽きたのか、お皿を洗いはじめたババァ軍。さぁ、この年の瀬。最後に笑うのは誰なのでしょうか。

 

斉藤アナスイ、苦しそうな表情だ。それに対するリンゴジュース、どっしりと構えております。あーっと!ここでババァがストローを洗い出した!お皿に引き続き、ストローを洗っております!これはどういうことだー!?

 

僕「いや、おい」
お母さん「え?」
僕「何してんの?」
お母さん 「何って、洗い物だけど」

 

いや、それはいいんだけどさ?何だろ、何かストロー洗ってない?

 

僕「それ、何?ストローじゃない?」
お母さん「うん」
僕「えっと?うちって、ストロー洗って使ってんの?」
お母さん 「うん、エコでしょ?」

 

す、捨てろよ…。あーっと!ここで斉藤アナスイが膝をついた!戦意喪失!戦意喪失であります!(カンカンカン!(ゴング))

 

も、もうダメだ…。下手したら、爪楊枝すら洗って再利用してる可能性もある…。あぁ…。僕が絶望にうちひしがれかけた、その時でした。

 

「ヴヴヴヴヴ…!ヴヴヴヴヴ…!」

 

震える携帯電話を手にとると、ディスプレイは兄からの着信を伝えています。兄…?兄…!聞き慣れたはずのバイブ音が、その時ばかりは希望の鐘のように聞こえました。

 

兄「あーもしもし?今から帰るわー」
僕「あ、あのさ!今、栓抜きがなくって!瓶入りのリンゴジュースが飲みたいんだけど!」
兄「へ?リンゴジュース?」
僕 「そう、瓶入りのリンゴジュースなんだよ!だから悪いんだけどさ、買ってきてくれない?」
兄「あー、何かよくわかんないけど、わかったー」
僕 「恩に着る!」

 

やっぱりね、持つべきものは兄だなと。小さい頃は、お金貸して、ベルマークで返されたりもした。自転車貸して、ベルマークで返されもした。お誕生日に一生懸命お手紙書いたら、ベルマークで返されたりもしたよ。でも、今は全部許す。全部全部許すよ。お兄ちゃん、やっぱり最高だよ!

 

いやぁ、気持ちに余裕が生まれるというのは、本当にいいものですね。この幸せを、他の人にもわけてあげたくなる。

 

僕「あのさ。お母さん、久しぶりに肩でも揉もうか?」
お母さん「えー?急にどうしたの?なんか気持ち悪いなー(笑)」

 

そういって、ゴキジェットを僕に噴出してくるお母さん。いや、いくらなんでも、気持ち悪がり過ぎだろ。

 

はてさて、兄がご帰宅したのは、それから1時間程も経った頃のことでした。あーあー、そんなに手を赤くしちゃって。さぞ寒かったでしょう。ほらほら、おこたに入って。

 

僕「おかえり!遅かったねー!」
兄「あー。いや、中々売ってなくてねー」
僕「いや、ほんと悪かった!ありがと!」

 

確かに、コンビ二なんかで売ってるものでもないし。兄は寒い中、栓抜きを探し彷徨ってくれたのでしょう。いや、これはホント、頭上がらないわ。みかん剥いてあげるわ。

 

兄「はい、これ。頼まれてたやつ」
僕「あ、ありがとー!」
 

(ドン!)

 

…び、瓶に入ったリンゴジュースというのは、なぜこうにも艶かしいのでしょう。美しいのでしょう。眺めてうっとり、唾ごくり。…あれ?この景色、どこか で…?

 

えっと?なんか、リンゴジュース2本に増えてない?

 

兄「なんでそんな瓶入りのリンゴジュース飲みたかったの?わざわざデパートまで買いに行ったんだけど」

 

そ、そうじゃねぇ…!リンゴジュースもう1本買ってきてどうする!栓抜きはー!?

 

…でもね、何も言えないじゃん。このクソ寒い中ね、重い重いリンゴジュース(瓶)抱えて帰ってきてくれた兄にね、文句なんて言えない。むしろ、ありがとうだよ。今年もありがとうだよ。

 

僕「あ、お金。いくらだった?」
兄「7800円

 

あやうく卒倒しかけたけど、その気持ちが嬉しい。そう考えたら、全然高くなんてない。はい、お金。寒い中本当にありがとう。

 

さて「そいえば栓抜きあったよ!」との報告を受けたのは、それから数日後のことでした。

 

うん、何かそんな気がしてた。だって、リンゴジュース、空になってるもん(2本)。7800円が、一口も飲んでないのに、空になってるもん。

 

僕「う、うん。よかったね」

 

さぁ、来年こそはこの家を出よう。その日、僕はそう誓ったのでした。


【1日1回↓の緑(blog Ranking)をクリックして欲しいんですけど。いかがでしょう?】 

Banner2_4

| コメント (4) | トラックバック (0)

2012年12月24日 (月)

【小説】メリーメリー


 完全に失敗した。あんなやつの言葉を信じた私がバカだった。時刻は夜11時半。真夜中の、誰もいない学校の前で、私は大きくため息をついた。

 「おい秋、お前も来るか?」

 そう言って私を誘ったのは、クラスメイトの吉良だった。吉良は、見方によっては、クラスの中心人物だ。ほかのクラスメイトに較べ、少しだけ体が大きく、他のクラスメイトに較べ、少しだけ足が早い。少しだけ遠くにボールを飛ばせる。勉強にまつわる能力は著しく欠損しているし、クラスの男子の中で吉良が発言権を持っているのは、私が思うにそれだけの理由だった。

ちょっと力が強いというだけで、ただそれだけでよくもまあ。吉良は仁義もへったくれもない、これぞまさにガキ大将といった存在だった。いつも、気が弱そうで、でも世渡りだけは巧そうな男子何人かに囲まれて、まったく面白くないことを、何よりも楽しそうに話していた。あの子たちは何が楽しくて吉良のそばにいるのだろうと、私はいつも思っていた。

まぁでも、別に大人ぶるわけではないけれど、小学生の男子なんて大体そんなものだ。そんな訳のわからない理由だけで、簡単に人の上に立ってしまう。チャイムが鳴ると誰よりも早く校庭に駆け出して行く吉良と男子数名は、もはや休み時間の風物詩とも言えた。

 はてさてそんなわけで、男子にはいささか人気のある吉良だが、しかし女子となると話は別だ。評価は一転シビアになってくる。教室に紛れ込んできた虫を倒してくれるぐらいしかメリットのない吉良に、好意を抱く女子はごく少数。むしろ、授業中に騒ぐ、掃除中にホウキで野球を始めるなどといった暴挙の数々に、非難の声は少なくなかった。テレビドラマに出てくるような長髪の熱血先生が聞いたら、発狂しかねないレベルの悪口も、私は何度も耳にしていた。

「秋ちゃん、吉良に何とか言ってよ」

 そして普段の私の日課は、そんな吉良に対し、クラスメイトの不平を伝達することだった。何で私が…。もちろん私は、そんな役回りに対して納得しているわけがない。吉良を注意するように促したクラスメイトに対し、私はやんわりと聞いたこともある。

「えーだって、秋ちゃんと吉良君って仲いいから」

私と吉良は、確かに不幸にも幼馴染だった。しかし、仲がいいという点に関しては簡単には頷けない。少なくとも小学校入学以来、私のほうから吉良と仲良くしたつもりは毛頭なかった。それは、むしろ避けていたといっても過言ではないだろう。

それでも私と吉良が仲良しなどという、あらぬ誤解が生まれたのは、単に吉良が私に対して馴れ馴れしかったことに尽きる。家が近所ということもあり(そして親同士が仲良しということもあり)、確かに私と吉良は幼いころによく一緒に遊んでいたことがあった。ちなみに、私の中で消したい記憶ベスト1位は、幼い頃、本当にまだ幼い頃に、こいつと一緒にお風呂に入ったことである。

吉良の私に対する接し方は今でも、あの頃と何ら変わらなかった。まったく、そんなものいつまでも引きずらないでほしいというものだ。おかけで私は吉良の世話係扱い。不幸、不幸だ。関わりたくないのに、吉良も、周りもそれを許してはくれない。

まったく私から言わせれば、他の女子が抱く吉良への不満だって、はっきり言ってたかがしれている。私が奴から受けた被害に比べれば、そんなものまだまだかわいいものだ。自慢ではないが、吉良から受けた被害に関しては、私の右に出るものはいないだろう。その昔一緒に缶けりをしたとき、必死にさがすオニの私を尻目に、一人帰ったあの日のことだって、私は今も許してはいない。おばあちゃんが作ってくれた手さげカバンに、グラタンをぶちまけられたことも。まぁ、それは事故ではあったのだが。

 「・・・何?」

 吉良の誘いに対して、私はいつも通りそっけなく聞き返した。どうせくだらない誘いには違いないのだけれど、無視したってしつこく付きまとわれるだけなのはわかっていた。

「肝試し!」

「・・・何?」

 それに対し吉良は、何じゃねーよ、とかそんなことを言った。肝試しだよ、肝試し、とかなんとか続けていた。私からしてみれば、近頃もっぱら鼻につく幼馴染から、急に肝試しだのといういかにも頭の悪そうな企画に誘われて、十分「何?」に値するのだが、吉良はそれが納得できないらしかった。

「お前トイレの花子さんって知ってるか?」

「知ってるけど」

 吉良は得意げに聞いてきたが、誰だってトイレの花子さんぐらい知っている。おそらく小学生のほとんど誰もが知っているだろう。定番中の定番のお化けだ。

「その花子さんがな、なんと、うちの学校にも出るんだってよ!6年生に聞いたんだ!」

 へぇ。そんなどこの小学校にも出るもんかね。そりゃ有名にもなるわけだ。

「ふーん、そうなんだ」

「すごくねぇか? それでな、今晩みんなで肝試しをしようって話になってんだよ!」

 想像通りというよりも、想像以上にくだらない話だった。吉良の周りを見ると、何人かの男子が私を見て苦笑いをしている。可哀想に。吉良に言い出されて断れないのだろう。そんな話を信じている男子など、誰一人としてないことは明白だった。

「な?お前も来いよ」

 冗談じゃない。何が「な?」なのかもわからないし、もちろんそんなもの行くわけがない。そんなものに行くぐらいなら、どうせ叶いもしない、お菓子の家に住む夢の続きをみるほうがまだ有意義だ。

「行かないよ。行くわけないじゃん」

 どうせ頭数が一人でも多いほうが楽しいだろうとか、その程度で私を誘ったのだろう。一言断ればそれで終わり、私はそう思っていた。しかし、

「なんでだよ? いいじゃん、来いよ!」

「ほら、あんまり夜遅いと親がさ・・・」

「何言ってんだよ。お前の親なら大丈夫だろ」

 これだから幼馴染は面倒くさい。確かに、彼の言う通り、うちの親なら大丈夫だろう。「肝試し? ああら、楽しそうねぇ。お母さんも行っちゃおうかしら?」なんて言うに違いない。うちのお母さんは、吉良も知っている、あの愉快なお母さんだ。くそぅ。それにしてもなんでこいつはこんなに食い下がるのだろう。行かないと言っているんだからそれでいいじゃないか。

「とにかく行かないったら、行かない。じゃあね」

 私が吉良の輪から離れようとしたそのときだった。

「さてはお前、怖いんだろう?」

…これだから幼馴染は。吉良はこっちを見てニヤニヤしている。この野郎。吉良は、私が幼い頃から、相当な負けず嫌いであることを知っている。そして、そんな私に火をつける方法も知っている。頭にくることに、そう言われたら私が引けないことも、こいつは全部わかって言っているのだ。

「別にそんなんじゃないって」

「じゃあなんでだよ?」

「どうせそんなのいないって。誰かが適当に流した噂でしょ」

「そんなの試してみなきゃわかんねぇだろ」

 まずいな。私としたことが、吉良ごときに押し負けている。どうせ私が何を言ったって、危なくなれば吉良は「やっぱり怖いんだ」とかなんとか言うに決まっている。強くも言い出せないこのままじゃ……。

「やっぱり怖いんだ」

カチン。

「わかったわよ! 行けばいいんでしょ行けば!」

 あ。

「ほらみんな席につけー」

 その瞬間、担任の遠藤先生が教室に入ってきた。あぁ、もうちょっと早く来てよ先生。まぁでも先生に、相談したところで、誰よりも面白がりそうだけど。担任の遠藤先生は、まだ若く、どこか子供のまま大人になってしまったような先生だった。お母さんといい、先生といい、どうして私の周りの大人は皆こうなのだろう。まったく本当に頼りない。

 吉良と話すときは冷静に、カボチャと話してると思って。いつも自分にそう言い聞かせてきたのに。頭に血が上った、やってしまった。しかし、もう後悔しても遅い。一度言ったことを易々と撤回させてくれるほど、吉良は出来た人間ではなかった。自分の席に着き、私は天を仰いだ。

 

 

 とまぁそんなわけで、夜の11時半学校前というわけだ。ざまあみろ吉良の奴、お前の取り巻きなんか一人だって来ていない。お前の人望なんてその程度のものなのさ。しかし。しかし、じゃあなんで私は来てしまったんだろう。私は一人、こんな遅くにここで何をしているのだろう。吉良の取り巻きが来ないかもしれないことは想像がついたが、まさか吉良本人までもが来ないとは。今この時に、私よりバカな人は一体何人いるんだろう。

「くそ、なんであいつら来ないんだよ!明日ぶっ飛ばしてやる」

 なんて言う吉良を想像して、馬鹿にして笑っていたお昼過ぎの私。いやいや、バカは私でしょ。悔しさと恥ずかしさが混ざり合い、思わず叫びたくなった。

 腕時計を見ると、時刻は11時45分を過ぎていた。「11時半に猫トンの前」という約束は、とっくに破棄されている。

 猫トンは、うちの小学校の生徒なら誰でも知っている秘密の抜け道だった。秘密の抜け道なんていうとちょっと大げさで、ただ学校と外を隔てるフェンスに、大きな穴があいているだけだ。通称「猫のトンネル」。略して「猫トン」。うまい具合に植木に隠れているので先生たちは気づいていないのかもしれないし、気づいていてもお金がなくて直していないだけなのかもしれない。いずれにせよ猫トンは、今も私の前で大きな口を開けている。

 ハァと私は、もうひとつ大きなため息をつく。誰も来ないのは明らかだったが、このまま帰るのは、あまりにもしゃくだった。「さてはお前、怖いんだろう?」。吉良のセリフが、頭の中で繰り返される。怖くなんかない。現に私は、誰も来ていない中、一人ちゃんと約束を守ったではないか。

しかし吉良にそれを言ったところで、嘘つき呼ばわりをされるか、信じたとしても「悪かった、じゃあ今日決行な」と悪びれた様子もない顔で、わけのわからないことを言われるに決まっている。「本当に行ったの? バッカでー」パターンの可能性もゼロではないが、性格が悪いというよりも、純粋なバカである吉良は、やはりパターン2でくるだろう。

めんどくせぇー。もしそれを断れば、また怖いの怖くないの、意味のない口ゲンカになる。2日連続こんな遅くにここに来るなんて、あまりにも馬鹿馬鹿しい。

もちろん気持ちとしては、一刻も早く家に帰りたかった。しかしそれでは事態が収束しないことを、私はわかってしまっていた。

どうしよう? どうすんのこれ? 考えても、どうしようもない。

やつを黙らせるのには、ここはもう、行くしかないのだろう。そう、行くのだ。行って、証拠を残すのだ。そうすれば、いくら吉良だって、もう何も言えまい。そうしない限り、私の明日の安眠は、永遠に約束されることはない。

私はカバンの中に手を入れ、お父さんからくすねてきたカメラがちゃんと入っているかを確かめた。撮った写真に、日付と時刻を入れられるカメラ。吉良に持ってこいと言われ、素直に持って来たカメラが、まさかこんな形で役立つことになろうとは。

お父さんはカメラが大好きで、何台もカメラを持っている。一台ぐらい、一日ぐらい拝借したってバレはしないだろう。写真に撮られるのが嫌いな私が、その時ばかりは、初めてお父さんのカメラ好きに感謝した。

とりあえず電源を入れ、試しにシャッターを押してみる。予想以上にフラッシュが強く光り、誰もいない中、私は一人声を出して驚いてしまった。私は、何をしているのだろう。

非常に静かな夜だった。秋の中頃、体にまとわりつく空気は生暖い。猫トンは、目の前でポカンと口を開けていた。

身を屈めてよつんばいになったところで、私は再びふと立ち上がった。え? 本当に行くの?あまりの馬鹿バカしさに、私はふと冷静になった。しかし、どう考えても帰れない。もう帰れないのだ。なんで私がこんな目に。一体何をしたというのだろう。あぁ、いちごパフェ食べたい。

意を決して再びよつんばいになり、身を屈め、猫トンを潜る。着ている服と、植木の葉が擦れ合う音が、やけに気になった。誰かに気づかれたらどうしよう。忘れ物をしました、で許してもらえるだろうか。一応生徒なんだし、まさか警察に捕まるなんてことはないはずだ。たぶん。

最後のおしりが通りきる前に、私は一度後ろを振り返った。「私って本当に馬鹿なのかもしれない」。今まで何度も己の失態を恥じたが、これ以上馬鹿げたこともない。でも、もう引き返せないのだ。本当は引き返そうと思えばいくらでも引き返せたのだが、そのたびに吉良の顔が頭をよぎった。くそぅ。あの野郎、見てろよ。

 無事猫トンを潜りぬけ、私は夜の学校に侵入した。

 

1階の渡り廊下の、右から3番目の窓。横に引くと、その窓はいともたやすくガラリと音をたてた。こうして問題なく開いてしまうのが、何よりの問題だと私は思う。窓についているカギが壊れていて、生徒の間では「閉まらずの窓」などという、絶対に学校の七不思議にはなりそうもない名前で呼ばれている。まったく、猫トンといい、この窓といい、うちの学校の警備はどうかしている。世間の親御様に知られたら、どうするつもりなのだろう。

さて。夜の学校は必要以上に暗く、そして不気味なほどに静かだった。

暗闇の中の静寂に、初めて「しーん」という擬音をつけた人は、なかなか鋭いと思う。暗闇の中の静寂は、しかし無音ではなく、本当に「しーん」という音がするのだ。「しーん」とか、「すぃーん」とか。そしてその「しーん」に包まれると、人は何故か非常に息苦しくなることを私は知った。

田舎のおばあちゃんの家に遊びにいったとき、家の周りはまっくらだった。でも、あの暗闇とこの暗闇はまったくの別物だ。あのときは鈴虫の鳴き声がして、鈴虫が鳴かなくても風があって。少なくともこんなに、今すぐにでも逃げ出したくなるような、無機質な暗闇ではなかったはずだ。

月明かりも、校舎の中まではほとんど差し込んでは来なかった。窓の鍵も直せない小学校に、常駐の警備員などいない。しかしここで電気をつけるなど、私には許されるはずもない。学校の灯りというのは、外から見ると何故か異様に目立つ。それでは、私を捕まえてくださいと言っているようなものだ。私が今この時間ここにいることは、明日吉良に話すまで誰でも知られてはいけないことなのだ。私は目が慣れるまで、唯の一歩も動かず、その場でしゃがみこんでいた。ほんの少しずつあたりの様子がわかりはじめても、「しーん」が消えることはついになかった。

私はまたも家からくすねてきた、懐中電灯を取り出した。電池が入っていることはすでに確認済み。そしてそれを握って、私は初めて自分の手が汗ばんでいることに気がついた。夏はとっくに終わったとはいえ、まだ暑いもんね。誰もいない中、私は声に出して自分に言い聞かす。喉の乾きにも、私は同じような理由をつけた。

そしてそれは、そっとスイッチを入れた瞬間だった。

「キャー!」

 静寂を切り裂く大きな女子の悲鳴。そしてその声を出したのが自分だと気づくまでに、私は数秒を要した。目の前に突然現れた人影に、恥ずかしながら、私は非常に女の子らしいリアクションをしてしまったのだ。おいおい、尻もちまでつき、立てないではないか。

「な、何?何なの?」

よくよく見れば、それは人影などではなく、乳酸菌飲料の容器で作られたロボットだった。周りを見れば、大小様々な工作の数。何のことはない。1年生が作った夏休みの自由工作が、廊下に飾られていただけの話だ。それにしてもこのロボット、ぱっと見ただけでも容器が数百個使われていることがわかる超大作で、ついつい思いきり蹴りを入れたくなってしまう。もう、なんでこんなもの作ったのよ。私は、罪もなく、顔も知らない後輩を恨んだ。

 それにしても、吉良と一緒じゃなくて本当によかった。ヤクルトを見てひっくり返ったなどと知られれば、一生笑い物にされることは間違いない。吉良、来ないでくれてありがとう。そしてそれとほぼ同時に、そもそも吉良が肝試しと言いださなければこんなことにはならなかったことを思い出す。

 ちきしょう、吉良め。感謝したり恨んだり、本来ならもう寝ているはずなのに、今夜は何かと忙しい。「怖いんだろう?」。怖くなんか、ない。ちょっとビックリしただけだ。私が出した大声は、誰にも気づかれることなく、静寂の中に消えた。

 1年生の教室、懐かしいな。私は気を紛らわせるために、わざとそんな言葉を口にした。友達できるかななんて、ちょっと心配にもなったっけ。あ、遠足でお芋堀りにも行ったっけ。あのお芋、本当においしかったなぁー。…どうしよう。何を思い出しても、まったく楽しくなりはしない。花子さんが出ると言われているトイレは4階。その道のりを思い、私は軽く絶望的になった。

 そもそも花子なんなんているわけないのに。私はブツブツ言いながら、ゆっくりと2階への階段を昇る。2階は大好きな図書館があるお気に入りの階だが、さすがに今日は立ち入る気にはなれなかった。だってほら、暗い中で本とか読んだら目悪くなるし。うん。あるわけないけれど、過去の文豪達の霊が麻雀でもしていたら、私は確実に不登校児になるだろう。

 いや私は、幽霊なんて信じない。今までそんなもの見たこともないし、仲のいい友達の中にも実際に見たなんて子はいない。見ていないものは信じられない。そんなものより、ヤクルトのほうが何倍も恐ろしい。大丈夫。幽霊なんていない。

 とはいえ、4階にむかうにつれ、足取りが重くなっていることに、自分でも気がついていた。それは決して疲れなどからくるものではないことも、私は知っていた。おやおや、一体どうなっているんですかね?でも、信じない。信じない。もはや祈りのように、私は何度も何度もそう呟いた。

 空気が、重い。心臓がものすごいスピードで、鳴っている。私は4階の女子トイレの前で、立ちすくんでいた。ついてしまった。「怖いんだろう?」。ごめんなさい、ちょっと怖いかもしれないです。

 もう正直に認めざるを得ない。何とかごまかしごまかしここまで来たが、まさか夜の学校がここまで怖いとは。今まで5年も通い詰めた学校が、今はまったくの別のものに見える。あと一歩、あと一歩で私は噂の女子トイレに入るのだ。怖い。

 でも、ここまで来て引き返すわけにもいかない。吉良なんかに、負けるわけにはいかないのだ。そこでそうしていた時間が、何分だったのかはわからない。ほんの数秒だったのかも知れないし、長い間立ちすくんでいたのかもしれない。

ええい。ここでこうしていても仕方がない。行くか。私は意を決して、トイレに足を踏み入れた。幽霊なんて、信じない。

「一番奥のトイレを3回ノックして、花子さんの名前を3回呼ぶ」

「一番奥のトイレを3回ノックして、花子さんの名前を3回呼ぶ」

 私は、吉良が言っていた言葉を何回も何回も頭の中で復唱した。噂によれば、一番奥のトイレを3回ノックして、花子さんの名前を3回呼べば、花子さんからの返事があるらしい。別にそんなことしないで写真だけ撮ってくればそれで十分証拠になるのだけれど、私はそうしようとは思わなかった。そんなズルみたいなマネが私は好きじゃなかったし、実際にやったという自信が、吉良をつっ返す原動力になる気がしたのだ。

 一番奥のトイレの前に立つ。歩くのをやめた途端、再び恐ろしいほどの静寂が訪れた。噂が本当なら、ここに花子さんがいる。ひどく喉が渇き、心臓の鼓動は、これ以上ないぐらいに早まっていた。ノックをしようと上げた手が震えている。早く終わらせて早く帰りたい。でも、手が動かない。どうしよう泣きそうだ。

コン、コン、コン。

 やっとのことで、私はトイレをノックした。後は。後は、3回名前を呼ぶだけだ。そうすれば、結果がどうあれ、私の役目は終わる。これであと3回名前を呼べば、花子さんは現れる。いや、現れない。3回。私は大きくひとつ深呼吸をした。もう、こんなこと終わりにしよう。あと、3回。私はギュッとこぶしを握りしめ、逆にギュッと閉じていた目を開いた。いくぞ。

「はーなこ……」

「はーい!」

 私はその瞬間あまりの驚きに大きく後ろにのけぞり、後頭部を壁に思い切りうちつけた。そして本日2度目の尻もち。立ち上がりたいけれど、これはちょっと立てそうにない。

「あ、ごめんね。大丈夫?」

 はっ、はっ、はっ。おそらく同学年ぐらいであろう、トイレから出てきた少女。その少を目の当たりにし、頭が破裂寸前なほど混乱していた私は、ただ一言しか言えなかった。

「はっ、はっ、早いよ……出てくるの……」

 

 

「ごめんね。そんな驚かすつもりはなかったんだけど・・・」

 なんだこいつは。

 そう、結論から言うと、花子さんは出やがったのだ。暗闇の中、ぽわーっと光る花子さん。あらぬタイミングで登場し、私の脳を激しく揺らして、今なぜか私に謝罪をしている。

「なんか人と接するの久し振りでね。しかも同棲代の女の子だったから嬉しくって。つい先走っちゃった」

 マンガなら語尾に☆でも付きそうな口調で、花子さんはしゃべり続けた。それにしても、幽霊とはこんなにもフレンドリーなものなのだろうか?

「ほ、ほ、ほ、本当に花子さんなんですか?」

「本当に花子さんなんです」

「お化け?」

「お化けです」

 当然のことながら、私は相当に混乱していた。幽霊と会話をしている。そんな状況で、一体どうやったら普通でいられると言うのだ。

「た、食べる?」

「何を?」

 私を。いやいや。私はさっきから、花子さんに何を聞いているんだろう。幽霊のことなんて、私は詳しくなんて知らない。でも、目の前に現れた幽霊が、少なくとも私のイメージしていたものとは、似ても似つかないことは確かだった。この幽霊なら、たぶん私のことを食べたりはしない、気がする。

「あなた、何年生?」

ずっと質問をしてきた私に対し、今度は花子さんが聞いてきた。

「5年生、です」

「うそ!?本当に!?」

 花子さんが急に大声を出したので、私は驚いて退き、とりあえずまた壁に頭を打った。本日何度目なのだろう。痛いというよりは、もはや痺れる。花子さんもひょっとして頭を強く打ったために見られる、幻覚か何かなのではないだろうか。

「私も5年生!同学年!」

 頭をおさえる私の前で、なにか幽霊が喜んでいるのを感じた。小躍りでもしているのかもしれない。小刻みにステップを踏む、足元だけが見えた。

しかし、それにしても彼女は本当に幽霊なのだろうか。幽霊ってもっとこう、おどろおどろしくて、柳の木なんかが似合って、夜な夜な音楽室でピアノを弾いて、首が伸びたりなんかして、口が裂けているものではないのだろうか。

それなのにこの花子さんときたら、見た目は普通の小学生そのものだし、身長にしてはちょっと短いけれど、立派な足だってある。そして何よりフレンドリーなのが、とても幽霊とは思えない。しかも悔しいことに、顔も私より可愛いときたものだ。これでは、頭をおさえトイレの床をのたうちまわっている私のほうが、よっぽど幽霊である。

この子は、一体何なのだろう。もしかして、いい人。いや、いい霊なのではないだろうか。

 何だか楽しい花子さん。何だか素敵な花子さん。この状況が、決して普通ではないのはよくわかる。しかし私の中で、恐怖や驚きより興味が先行するのに、さほど時間はかからなかった。多少人見知りをするところはあっても、何かしらきっかけがあれば、同世代の女の子と仲良くできるぐらいの社交性を、私は持っていた。私たちはこの時間、この場所で会うべくして会ったのだ。そうだ。私は、彼女に会いに来たのだ。それだけで、きっかけは十分だった。変な言い方ではあるが、私はこの幽霊に、不思議と心を許す気になった。

「へぇ、あきちゃんって言うんだ」

「う、うん。あなたは?」

「私は花子さん。もう、知ってるくせに」

 私と花子さんは、そんな調子で延々とおしゃべりを続けた。どちらかが聞き、どちらかが答える。それは「会話」というよりも本当に「おしゃべり」といった感じで、例えばどこか波長が合う転校生との最初のおしゃべりに似ている気がする。違和感がまったくなかったといえばウソになるが、恐怖感とか、怖れというものは段々となくなっていた。

「あきってどうゆう字を書くの?悪いに鬼?」

 悪鬼。それではやはり、私のほうが幽霊だか妖怪の類になってしまう。

「違うよ!普通に季節の秋」

「なるほど、季節の秋ちゃんか!」

 ただ、肝心要のそのことについては触れてはいけないような気がした。どうしてあなたはこんなところにいるの? どうしてあなたは幽霊になったの? 

 それを聞くにはまだ早いだろう。もしそれで、怒らせるようなことになったらどうなるのだろう。彼女は、フレンドリーだけど幽霊だ。まだ、ちょっと怖い。

それに、その質問は一方的過ぎる。もし仮に聞いてしまったとしても、その答えは、どんなものであれ楽しいものではないだろう。彼女は、幽霊なのだ。幽霊が何かしらの理由を持ってそこにいるのだ。何かしらの理由があって、幽霊になってしまったのだ。よくわからないけれど、それってよっぽどのことなのだろう。少なくとも、会ってその日に聞いていい質問ではないはずだ。幽霊と人との仲にも礼儀あり。

「秋ちゃんは、私がなんでここにいるかとか、気にならないの?」

 まぁでも、こんな感じで本人に隠す気がないなら別にいいのかもネ。花子さんは私の思うところをいきなりぶっ壊して聞いてきた。

「気になるような気もするし、気にならないような気もする」

「正直に言ってみて?」

「本当は、けっこう気になる」

 花子さんは、私からそんな返事が来ることをわかっていたかのように、少しだけ笑った。

「だよね。うん、でもまぁ教えないんだけどね」

「もう、なによー」

 とんだ肩透かしである。

「あ、怒った?念仏唱える?念仏唱える?」

「そんなの唱えないよー」

 あはは。あぁもう、花子さんはなんて幽霊なんだ。いまだにわからないことだらけだけど、なぜか私は、いつ以来かも思い出せないぐらいに笑っている。

 楽しい時間は過ぎるのが早いというが、まさにその通りだと思う。ふと腕時計を見ると、なんとびっくり5時を過ぎているではないか。驚いていったんトイレから出ると、すでに明るくなった空が、窓から覗いていた。やばい。

「もう帰る?」

私の様子から何かを悟ったのか、花子さんが聞いてきた。

「うん、ごめんね。そろそろいかないと・・・」

「いや、ちょうどよかった。私も明るくなると消えちゃうし」

「そうなの?」

「そうなの。むしろこんな時間までごめんね」

 カメラの存在を思いださなかったわけではなかった。でも私は、それを取り出すことはしなかった。

「ねぇ、最後にもう一回聞いていい?」

「何?」

「本当に、本当に幽霊なんだよね?」

んー。そう言いながら花子さんは、いかにも「悩んでます」といった感じで腕を組み、その後、そっと手を差し出した。

「おいで、握手」

「ん?握手?」

そこにある手を掴もうとした、私の手が空を切る。空振りからぶりカラブリ。何度試そうと、花子さんの体に触れることはできなかった。

「これで信じた?」

花子さんは、なぜかちょっと得意げに聞いてくる。

「うん、すごい…」

改めて、今私の目の前に幽霊がいる。女の子の、可愛らしい幽霊だ。明るくて、大好きなタイプの幽霊だ。

「ねぇ、また来てもいい?」

「もちろん。待ってるよ」

「来なかったら呪い殺す?」

「うーん、7代先まで呪っちゃうかも」

 最後まで笑いあって、私たちは別れた。

 


「なぁ秋、聞いてくれよ!俺じゃんけんで絶対負けない方法を編み出したんだ!」

そう言って私にじゃんけんを挑んだ吉良は、あっけなく負けた。

「おかしいなぁ。昨日弟に試したときは全戦全勝だったんだけどなぁ」

最初にチョキを出して次にグーを出せば勝てる。残念だが、その必勝法が通じるのはお前の弟だけだ。どっかいけ。

朝から吉良に絡まれたのは災難だったが、幸いなことに、吉良は花子さんのことなどすでに頭の片隅にもない様子だった。あぁ単純って、こうゆうときに限ってはいいな。もちろん私のほうからその話題にふれるようなことはしない。あえて例の女子トイレまで連れ出して警察を呼ぶという手も考えたが、わざわざことを荒立てることもないだろう。

 あの夜、といっても昨日のことだが、私は帰ってから一睡もしなかった。時間が時間だけに、眠ったら遅刻確定というのも確かにあったのだが、それ以上に眠れなったのだ、

 花子さんと一緒にいたときは、楽しくて、とりあえずそれでよかった。しかし一人になって思い返すと、やはり、どこまでも不思議な夜だった。私は幽霊と友達になったのだ。聞きたいことも、気になることもあふれ出してきた。また、あの時間あの場所に行けば、私は彼女に会えるだろうか。もう少し仲良くなれば、もっと踏み込んだことを聞いてもいいのだろうか。

 授業中もずっと花子さんのことばかり考えていた。なんとか幕府のことも、全く頭には入ってこない。そしてとうとう私は、聞きたいことをノートの隅に書き出した。ごめんね、先生。

 

(1)花子さんはどうして幽霊になったの?

(2)花子さんはいつからそこにいるの?

(3)花子さんは私以外の人と会ったことがあるの?

(4)花子さんって本当の名前なの?

(5)花子さんは自分が有名なことを知ってる?

(6)花子さんは明るいうちは何をしているの?

(7)花子さんはどうしてうちの学校に出るの?

(8)花子さんは昔は人間だったの?

(9)花子さんを呼び出す例の方法について何か知ってる?

(10)花子さんはどうやったら成仏できるの?

 

とりあえず10個。普通の友達同士なら、まず出てくることがないであろう質問のオンパレードだ。普通だったら、どこに住んでるの、とか趣味は何、とか聞くところで、昔人間だったのなんて質問はありえない。私は幽霊との隔たりを、改めて感じた。いつか聞いてみたい。いつか教えて欲しい。ひとつずつでもいいから、私は彼女のことを知りたい。例えば毎日通って、1日1個ずつ聞いていくのはどうだろうか。今すぐにでも教えてくれそうな質問だってある。

 彼女は幽霊だ。怒らせたら、踏み込みすぎたら痛い目をみることだってあるかも知れない。でも、なんとなくだけど、花子さんはそんなことをしないような気がした。彼女はそんな風に人を傷つけない。たった一回会っただけで何がわかると言われたらそれまでだけど、少なくとも私の中で、彼女は悪い存在ではない。ちょっと変わった、普通の女の子だ。違和感が全く無いわけじゃないけど、もうそんなに恐怖感はない。

 

「まさかこんなすぐ来てくれるとは。花ちゃん感激」

「いやぁ、また来ちゃいました」

 そう、私はその日も花子さんに会いに来てしまったのだ。連日連夜。しかし、昨日と同じ道のりでも、昨日と同じような怖さは感じなかった。

「お母さんとか平気なの?」

「一応寝静まってから出てきてるし、平気かな。それにバレてもそんな怒られないと思う」

 再びこのトイレをノックするとき、多少なり怖さはあった。それは、昨日抱いたい、いわゆるお化けに対する恐怖ではなくて、ノックしてももう出てこないのではないかという怖さだった。でも、昨日となんら変わらない調子で、花子さんはまた私の前にあらわれた。

「あんまり無理しないでよ?小学生の女の子が一人で夜道を歩いてるなんて、心配ったらありゃしない」

「お母さんみたいこと言うね」

「心配するのは当然でしょ。私たち友達なんだから」

初対面だった昨日とは違い、今日はなんだか安心感がある。そして実のところ、私は花子さんが言ってくれた「友達」という言葉が嬉しかった。おぼろげながら、私もそう感じていたからだ。私に恥じらいがなかったら、そうだよね!私たち友達だよね!なんて手を取り合っていたかもしれない。まぁ、しないけどね。どうせ空振るし、ね。

「今学校でどんな勉強をしてるの?」

「えー、わけわかんない公式とか、何とか幕府とか」

「いい国作ってる?」

「いい国作ってる」

「ペリー来た?」

「それまだ」

そんな感じで、またも私たちはキャッキャと笑いあった。花子さんといる間は、本当に時間が過ぎるのが早い。腕時計に目をやると、すでに3時を回っていた。昨日に続いて今日、我ながら、よくこれだけただしゃべり続けて飽きないものだ。

 もちろん、クラスメイトの話も散々した。仲良しの女の子の話。面白い子の話。そして、吉良の話も。花子さんは、その話をニコニコしながら聞いていた。とくに吉良の話には食いつきがよく、手を叩きながら笑っている。花子さんがこんなに喜んでくれるなら、私も吉良に嫌がらせをされた甲斐があったというものだ。絶対に許しはしないけれど。
 ただ、昨日と同じように、楽しくおしゃべりをして終わるわけにはいかなかった。今日私は、彼女に10個の質問を用意してきているのだ。何も知らないままでも充分楽しいのだけれど、それでも私は彼女のことをもっと知りたかった。

それは友達だからなんでもわかっていてあげたい、という綺麗な理由ではなく、彼女が幽霊だという状況への好奇心なのかもしれない。聞いたら怒るかな。でも、彼女は彼女だし、どんな答えでも私は受け止められる気がする。自分勝手かなぁ。

「あ、あのさ、花子さん。変なこと聞いても、いいかな?」

「何?好きな和菓子?五家宝かな」

「いや、そうじゃなくて。昨日さ、明るくなると消えちゃうって言ってたじゃん?」

「ん?うん」

「それってどうゆうこと?明るいうちは何をしてるの?」

「寝てる感じに近いかな。明るくなると段々意識が薄くなっていって、気がついたときにはまた夜って感じ」

「なんでそれで自分が消えてるってわかるの?」

「だってこのまま意識なくしたら、トイレで女の子が倒れてますって大騒ぎになるでしょ」

「なるほど、確かに」

 私の心配をよそに花子さんは、あっけなく幽霊としての自分のことを教えてくれた。その答えを聞いて、私は少しだけ心の中がスッキリし、少しだけ花子さんとの仲が深まった気がした。

「秋ちゃん。毎日は来なくていいよ。私だって毎日会いたいけど、やっぱり心配だし。それに秋ちゃん睡眠不足になっちゃうよ」

 別れ際に、花子さんはそんなことを言った。確かに私は昨日の夜から寝ていない。二日連続で徹夜をしていることになる。小学生でそんなことをするなんて、これはもう完全に不良だ。体力的に考えても、明日、日付的には今日の夜ここには来られないだろう。

 そして、頭の中にお母さんの顔が浮かんだ。深夜の徘徊がバレていないとはいえ、もちろんその行為自体は胸をはれるものではない。罪悪感だってある。もしバレたらお母さんはなんて言うだろうか。道中警察に補導されでもしたら、お母さんはどんな顔をするだろうか。

「ごめんね、私からはちょっと会いに行けないし」

 花子さんはそう言って私に謝った。花子さんから会いに来るという方法を考えてもいなかった私は、慌てて首を振った。

 会うのは多くても週1回。私と花子さんはそう約束をした。本当はもっと会いたいけれど、小学生が夜道を一人とことこ歩き、さらには学校に不法侵入することを考えれば、本当は週1回だって多いほどだ。私は仕方なく、その条件をのんだ。

 帰ってから私は、すぐに布団に飛び込むでもなく、ランドセルからノートを取り出した。

「意識を失って消える」

 そして10個の質問のうち、6番目の横に、そう書き込んだ。

 


 それからというもの、私は毎週水曜日だけが楽しみになった。いつもより早く学校が終わるその日、私は寄り道などはせず、一目散に家に帰って昼寝。夜に備えた。あの約束をして以来、私は2回花子さんに会ったが、そのどちらも誰かにバレることはなく、私は順調に花子さんとの仲を深めていた。

 ノートの質問も、順調に答えを聞き出している。3個目の私以外の誰かに会ったことがあるか、という質問に対しては、「ずーっと前に一人だけー」との間の抜けた答え。

「たったの一人?」

 花子さんの言葉を借りれば、

「うん、学校に忘れ物を取りに来た子かな?うちの学校って昔から簡単に侵入できるし。でもよっぽどのことがない限り、そんな時間にこの女子トイレに来るなんて、きっと頭の中にたんぽぽが咲き乱れてるんだよ」

 とのことだ。ひどく心が痛んだが、私に反論の余地はない。私、満開です。

 そしてその流れで、私はもう1個の質問をぶつけてみた。

「初めて私が花子さんと会ったとき、花子さんは私が3回名前を呼ぶ前に出てきたじゃない?」

「いやぁ、そんなことも会ったねぇ。あの時は私も若かった」

「そうゆうのって……」

 何て言えばいいんだろう。私は言葉に詰まった。私は、そうすれば花子さんが出てくると聞いた。ということは、そうしなければ花子さんは出て来られない? いや、でもこの子出てきたよね。

「ノック3回、花子さん3回、のこと?」

「うん」

 まるで助け舟を出すかのように花子さんのほうから、その話を繋げた。

「あれはうそ」

「え?」

「だって私が考えたんだもん」

「えー!」

 何?自分で考えた?

「秋ちゃんいつも律儀に、3回ノックして3回呼ぶでしょ?中で笑い堪えてるの大変なんだからね。はぁんなこさん」

 そう言って花子さんは、私のマネをした。明らかにバカにした口調である。

「ちょっとちょっと!」

「特に最初のとき」

「……ひどかった?」

「初めてそれを実践する人が来たから私もすっごい驚いたし、ドキドキしたよ。でも、深呼吸の音とか、鼻がぴーってなる音とか、私の名前を呼ぶ声が震えてるのとか聞いてたらおかしくなっちゃって」

「もういいです」

「唾飲む音とか、鼻がぴーって・・・」

「もういいってば!鼻がぴー2回目だし!」

 花子さんは何から思い出したように、カラカラと笑っている。

「え、じゃあノックとかしないで普通にドアあけたらどうなるの?」

「そこにいるよー。こんばんはって」

「えーでもそれじゃ他の人に会っちゃうじゃない」

「だからそんな時間にここのトイレ使いに来る変わり者なんてめったにいないんだって」

 ち、ちきしょう。花子さんは終始そんな調子で私を小バカにし続けた。

「だって、そのずーっと前に来た子はもっと冷静だったしさぁ」

「そうだったんだ」

「うん、『あなたは誰?幽霊?』なんて言うの。だから『そうよ』って。また私に会いたかったら『このトイレを3回ノックして、花子さんって3回呼んで』って」

その子が誰かに話して、それを聞いただれかがまた他の子に話して。そうして噂はどんどんと広がっていったのだろう。ずっと、ずっと下の世代の、私たちにも届く程に。

「あきちゃんって何年生まれになるんだっけ?」

「え?」

突然の花子さんの質問に驚きながらも、私は聞かれてもいない誕生日までも答えた。

「そっか、そんな年の子にまで知られてるなんてね。私もまんざらじゃないねぇ」

 花子さんは感慨深そうにうなずいている。

「すっごい有名だよ。他の小学校でも知らない子はいないんじゃないかな」

「え?」

「花子さんって日本中にいるの?」

「それはまた、なんで?」

「だって色んな小学校で、花子さんが出るって言われてるし。テレビでも本でも、話が出てくるよ?」

「出る、のかなぁ・・・」

 花子さんは、複雑な表情を浮かべている。完全に嬉しいわけでもなく、完全に悲しいわけでもない、そんな表情。一体、何を考えているのだろう。

どうやら花子さんは自分が有名な幽霊であることを知らない。私は、花子さんがどれだけ有名なのかを教えてあげたかった。でも、花子さんのその表情を見ていると、少しずつこの話を終わりにしていかないといけないような気がした。

「有名なの、あんまり嬉しくない?」

「うーん、ちょっと複雑」

 そうだよね。そんな顔してる。

 その夜、私は家に帰りノートを取り出して、また夜な夜な書き込みを始めた。(3)の横に「ない」。(9)の横に「自分で考えた」。(5)の横に「知らない」。そしてさらにその横に「あまりうれしそうではない」と付け加えた。おー、一気に3つも進むなんて。もしかしたら、思ったよりずっと早く、全ての質問の答えが揃うかもしれない。でも私は、揃った答えを前に、何をするつもりなのだろう。それは、わからない。でも、答えを揃えずにはいられなかった。それで何をするかなんて、全てをわかってからでもいい気がした。

 

 

 その日、4個目の質問に対して、花子さんはおかしな反応をした。

「花子さんって本当の名前なの?」

「…違うよ」

 その答えを聞いて、不思議と私は思った。やっぱり。そして、今までの質問に対してはすぐ答えを出してくれた花子さんが、今回だけ少し戸惑ったのが気になった。

「ごめん、私、ひょっとして嫌なこと聞いた?」

「んーん、別にそんなこともないけど」

 花子さんがすぐにいつもの笑顔に戻ってくれたので、私は一気にホッとする。

 確かに、本当の名前なの、なんて質問は、人間同士でも絶対ないわけじゃないだろうけど、かなり珍しい気がする。

 何を聞いたら、花子さんは傷つくのだろうか。ここにきて、私はそれがわからなくなった。もしかしたら、今までも知らずに傷つけていたのかもしれない。

「花子さん」

「ん?」

「花子さん前に、私のこと友達って言ってくれたよね?」

「うん、言ったね」

「私もそう思ってる。花子さんのこと、友達だと思ってる」

「うん」

「花子さんのこともっと知りたいの。でも、花子さんが聞かれて嫌なことは聞きたくない。でも、花子さんが何を聞かれたら嫌なのか、わからなくって」

「うん」

「もう、あんまり何にも聞かないほうがいい?」

「そんなことないけど…」

「…けど?」

「なんか恥ずかしいじゃない」

花子さんはケロっとそう言い放ち、少し笑った。

 

 その週の水曜日、私は花子さんと出会って以来初めて、花子さんに会いに行かなかった。会いに行きたくなかったわけではなく、会いに行く気がなかったわけでもない。間近に迫る、運動会の練習が早朝、放課後と行われ、いつもの昼寝のつもりが、ついつい朝まで眠ってしまったのだ。思っていたより、疲れがたまっていたらしい。

 やってしまった。朝目覚めて私は焦った。謝りに行こうにも、もう花子さんは消えてしまっているだろう。どうしよう。

「秋ー、運動会の練習遅れるよー」

 下から、お母さんの声がした。わかってるー、と返事を返す。もう、昨日もそうやって起こしてくれればよかったのに。まぁ、幽霊に会いに行くから起こしてとは、頼めないのだけれど。

 学校に着きグラウンドに出ると、もうほとんどの生徒が集まっていた。私の姿を見つけ、クラスメイトが2人ほどよってきた。

「秋ー、遅かったね」

「うん、ちょっと寝坊」

「あ、吉良が走るよ」

 クラスメイトが指差す方を見ると、吉良やほかの男子生徒数人が、スタートラインに立っていた。どの子も学年で指折りの、足が速い子だ。きっと、選抜徒競走の練習でもしているのだろう。

 先生が笛を鳴らすと同時に、皆がいっせいに走り出した。さすがに選抜だけあって、どの子も速い。

 しかしその中でも、吉良だけは別格だった。一歩足を踏み出すごとに群集から少し離れ、また一歩進んでは離れていく。グングンと、その差は広がっていった。結果は、吉良がぶっちぎりの1位。やはり、この学年じゃ、いやもしかしたら学校中でも、運動では誰も吉良に追いつけない。

「あーあ。いつもああだったら、吉良もかっこいいんだけどねぇ」

 ポツリとそう言った友達の顔を、私はマジマジと見た。えー?吉良の?どこが?

「だって運動できる男の子ってかっこいいじゃん」

 本当に不思議そうな顔をしている私に、その子は言った。ああ、いつもより目がキラキラしている。幽霊どころか、人間の、それも同世代の女の子でもわからないことは尽きない。

「先生、俺と競走してくれよ!」

 響いたその声の主は、吉良だった。どうやら、学年で敵なし状態の吉良は、少しでも速い者と競走したい一心で、遠藤先生に挑戦状を叩きつけているらしい。またバカなことを。

「えー俺が?」

 しかし、ジャージ姿の遠藤先生は、まんざらでもなさそうな表情で答えている。いつもの先生より、少しだけ幼く見える。元々若い先生だが、さらに、子供のような表情だ。

 皆は一気に色めきあった。先生と、学年一の俊足。どっちが速いのだろう。いくら吉良でも、大人に勝てるのか?いや、吉良だったらもしかしたらあっけなく勝ってしまうかもしれない。何だか面白い事になってきた。

 二人がスタートラインに立った。身長の差はかなりあるが、それでも相手はあの吉良だ。勝負はわからない。吉良の子分Aが先生から笛を渡され、なぜか誰よりも緊張した表情でうなずいた。

「い、位置についてー」

 笛の音とともに、二人が走り出す。私は、遠藤先生を応援していた。もし吉良が勝つようなことがあれば、吉良はさらに調子に乗るに決まっている。しかし、それでも、学年一の俊足があっけなく負ける姿は、かなりの衝撃であった。

「く、くっそー!先生もう一回!」

「まぁ待て。皆の練習が終わったあとに時間があったらな」

「くっそー!」

「俺、小学生のころから競走は誰にも負けたことないんだ」

 先生は少し誇らしげにそう言い、大きな声で皆に集合をかけた。いつもはダラダラと動く生徒たちが、その日ばかりはバシっとその声に従った。やはり小学生にとって、運動ができる者というのは、絶対であるらしい。いつもはひょろっとしたお兄ちゃんのような先生が、やけに立派に見えた。

 

 

「秋ちゃん!よかった!何かあったのかと思った!」

 私はその夜、花子さんに会いに行った。花子さんに心配かけたくなかったし、私自身、来週の水曜日まで待つなど、どうにも落ち着かなかったのだ。

「ごめんね、昨日ご飯食べた後お昼寝したら、起きられなくって」

「あー、秋ちゃんって確かに牛に似てるよね」

「どうゆうこと!?」

 今日は木曜日だけど、いつものように私と花子さんの夜が始まった。

「この前の夜、秋ちゃん考え込んでたから、もう来てくれないなんてこともあるのかなぁ、なんて思ったり思わなかったり」

「んーん。普通に起きれなかっただけ。本当にごめんね」

「それでね……

「うん?」

「昨日ずっと考えてたの」

「うん」

「秋ちゃん、私のこと、もっと知りたいって言ってたじゃない?」

「うん」

「私も、秋ちゃんにもっとちゃんと知って欲しいなって」

花子さん、本当?」

秋ちゃん、うそ」

「もう何よー!」

うそだけど、聞いて」

花子さん?」

「私、この小学校の生徒でね、20年前に、交通事故で死んだの」

 私は花子さんのその一言に対し、まるで何の一言も言えなかった。死んだから幽霊になった、そんなこと頭ではとっくにわかっていたのに、胸がギュッと強く締め付けられた。言葉が詰まる。何も、言えない。

「そして今、幽霊やってます。こんばんは」

こんばんは」

いやいや、こんばんはじゃなくって。

「いやいや、こんばんはじゃなくって!」

「あれ?」

「あれ、じゃないよ!それで、幽霊になったの?」

この世に未練があったからかな」

「未練」

「うん、未練があると人は死んでも幽霊になるって言うでしょ?あれ、きっと本当なの。だって私がそうだから。私は未練を残したまま死んで、幽霊になったの」

「『トイレの花子さん』に?」

「そう、まぁ、それ自体は全部私が考えたんだけどね」

え?それは、どうゆう?」

「なんか、ありそうでしょ。『トイレの花子さん』って。花子さん(笑)」

「同じクラスにね、幽霊の話とかすごく好きな男の子がいたの。幽霊として有名になれば、もしかしたら会いに来てくれるかなーって。だから、それっぽい幽霊を自分で考えて」

「ノック3回で名前を3回」

「そう」

「真夜中のトイレに出る花子さん。どう、ありそうでしょ?」

「確かにありそうだけど…。そこまでするなら、自分から会いに行けばよかったんじゃ…」

「うーん、だって恥ずかしいじゃない」

「乙女か」

「乙女です」

 花子さんは照れたような仕草で言った。照れてる場合か。

その人の耳には入らなかったのかな?」

「んー入ったんじゃないかな?だって私有名なんでしょ。きっと最初に会ったここで子が、言い広めてくれたんだね」

「うん、かなり有名だよ。ほかの学校にまで」

「まさかでもそんなに広がるとはねぇ。サインあげようか?」

「いや、いらない」

「そこまで有名だけど来ないってことは、その人はもう大人になっちゃって、幽霊なんかに興味をなくしちゃったんでしょう」

未練って言ったよね」

「うん」

「その未練って…」

「それは教えない」

いや、その男の子が好きだったんでしょう?」

「よくわかったねぇ!」

「バカにしてんの?」

「ちょっとだけ」

 花子さんは、マンガなら語尾に☆がつきそうな口調で言った。

 その後も花子さんの話は続いた。まるで、のろけ話のようなその話を、私は最後までしっかりと聞いた。花子さんの、好きだった男の子の話。

 彼、花子さんが好きだった男の子は、幽霊とかそういった類の話が好きで、クラスの誰よりも足が速くかったそうだ。一瞬吉良の顔が思い浮かんだが、「ひょろっと背が高かった」と言うから、あいつはダメだ。

 さらに今なら31歳になってるはずで、そして苗字が「遠藤」であるという。 

 苗字が遠藤、で、そんな感じの人と。

 うーむ。…どうしよう。考えても考えても、私には思い当たる節しかなかった。えー。

「花子さん。もし会えるなら、今でもその人に会いたい?」

「…うん、そりゃあまぁ。でも、もう幽霊には興味ないかもよ。いろんな意味で」

「…そっか」

「でも」

「うん」

「…私じゃなくてもいい。もし今でも幽霊が好きなら、遠藤君が好きな『幽霊』としてでもいい。会いたいよ」

 私は、小さく頷いた。

 花子さんの全てがわかったこの夜、私はノートに全ての答えを書き込んだ。あれだけ知ることを望んでいたはずなのに、もうここに書き込むことがないかもしれない思うと、私はどうしようもなく寂しい気分になった。でも、花子さんは私の友達だ。私は、花子さんの望みを叶えてあげたかった。それが、結果としてどうなることになろうとも。彼女がこの世に、今私のそばにいる理由を、私はこの手で消し去ろうとしていた。

 

 

 その水曜日の夜、私はやはり学校にいた。しかし、今日は猫トンも閉まらずの窓も使わず、時間もいつもよりずっと早い。

「なんだ秋、まだ帰ってなかったのか。どうしたこんな遅くに」

 いつもより早いとは言っても、大人から見れば、子供が学校に残っている時間として、確かに相応しくはない。

「先生、ちょっと相談があるんです」

「相談?どうしたんだ」

 遠藤先生は、そう言って、落ち着かなそうに椅子に座り直した。

「いや、あの」

「ん?どうした。あんまり、言いにくいことか?」

「…ちょっと、その、景気について」

「…景気?なんでまた、急に」

「いや…」

 先生に会いたがっている幽霊がいるんです。なんて言ったら、この人は一体どうするだろう。あー、何て言って誘い出すか、もう少しちゃんと考えてくればよかった。

「ひょっとして、家が、まずいのか?」

 先生は、本当に心配そうにこっちを見ている。ごめんなさい、違うんです。うちは決してお金持ちではないけど、そうじゃないんです。

 時刻は夜の9時を回っていた。花子さんは、もう、現れているだろうか。いざ会いに行って、いませんでしたではお話にならない。もう少し、引っ張らねば。何とか怪しまれずに、会話を続けなければいけない。今日、先生に帰られては困るのだ。

「…先生は、小学生のとき、好きな人がいましたか?」

 もしかしたら花子さんのことが聞けるかもしれない。私はそう思って、そんな質問を投げてみた。

「…ふふ。なんだ、そうゆうことか」

 あれ?先生はさっきまでの心配そうな顔から、急にいかにも甘酸っぱさを表現したような表情に変わった。どことなく、嬉しそうでもある。

「先生、デリカシーがなくてごめんな。もう少し早く気づいてやればよかったな」

「え?」

「そっか秋…」

「え?」

「好きな人ができたんだな!」

「…」

 申し訳ないぐらい違うけど、とりあえず話が広がりそうだったので、私は肯定もしない代わりに、否定もしなかった。

「ひょっとして、き」

「違います」

 先生が全てを言い終わる前に、私は後続を完全に断つ。一体この人は何を言い出すのだ。油断も隙もありはしない。

「違くって!先生の小学生の頃好きだった人です」

「うーん、俺のかぁ。俺、子供の頃そうゆうの疎くてなぁ。幽霊とか妖怪なら好きだったんだけど」

 じゃあやっぱり花子さんがすきなんだワーイ、なんて喜べるはずもない。今先生が言っている「好き」は、花子さんが言っている「好き」とは、あまりにもかけ離れている。そしてやはり、もう幽霊なんかには、興味をなくしてしまったのだろうか。

「…幽霊が好きなら、トイレの花子さんって知ってますか?」

「もちろん、知ってるよ!」

 あぁ、まただ。先生はまた、子供の顔に戻っていた。本当に、今でもやっぱり、先生はこの手の話が好きなのだろう。

「それこそ俺が小学生の頃からあった話だよ。自分の小学校にも出るんじゃないかって、夜中肝試しに行ったもの」

「え?」

「でも、出なくてねー。一回でいいから会ってみたかったよ」

「…先生の小学校って?」

「確か5年生まではここ。6年生になるときに北海道に転校したんだ」

「肝試しに行ったのは?」

「6年生のとき、かな」 

 そうだったんだ。だから、会えなかったんだ。だから、ずっと待ってたんだ。たった1年で北海道まで噂が飛ぶなんて、花子さんさすがだなぁ。私の胸が、溢れ出した色んな感情でキリリと痛んだ。

「先生。うちの学校にもトイレの花子さんが出るって噂があるの、知っていますか?」

 

 時刻は12時を回っていた。初めて私が花子さんに会いにいったのも、ちょうど今頃の話。

 職員室では、先生とずいぶん長話をした。先生は私の家に電話を入れ「家まで送って行く」という約束のもと、嫌な顔ひとつせず、私の話に付き合ってくれた。

 そして今、私たちは二人で四階の女子トイレへと向かっている。

「どうせ噂だって」

「でも、私怖いんです。怖くて学校に来れない。一緒に確認しにいってください」

 私はその怖くてどうしようもない存在に、本当は、毎週会いに来てたのだ。花子さん。

 四階の女子トイレの前。あの日は怖くて動けなかった。でも、今日は、これからどうなるんだろうという緊張で、体が固まっている。先生は、さっきからしばらく黙っていた。何かを、感じたのだろうか。

 意を決する。まったくいつ以来だろう。私は、意を決して、トイレの一番奥のドアをノックした。花子さん、今日も、会いにきたよ。

「はーなこさん」

「これはこれは秋お嬢様、お帰りなさい、ま…」

 いつもと同じふざけた様子で登場した花子さんは、私を見てピタリと止まった。いや、私ではなく、私のつれて来たもう一人を見て、止まったのだ。

「…あ、あ、あ」

 これは、花子さんの台詞であり、先生の台詞である。先生は幽霊が本当にいたことに驚いており、たぶん花子さんは、その人が誰かを理解できたからこんなにも驚いているのだろう。

「秋、こ、これ。あれ!?秋!?」

「秋ちゃん、なんで。あれ!?秋ちゃん!?」

 二人のその大声を、私はトイレの外で聞いていた。この場所に、私がいたら邪魔になる。さあ先生、大好きな幽霊に会えたよ。さあ花子さん、大好きな人に会えたよ。さあ。

 そこでそうしていた時間は、もしかしたら一瞬で、もしかしたらすごく長い時間だったのかもしれない。私が花子さんに会っていた時間は、もしかしたらすごく短い時間だったかもしれない。けれど、ずっと心に残るように、願う。

 

「秋、花子さん消えちゃった」

 トイレから出てきた先生は、もしかしたら泣いていたのか、さっきより目を腫らしているようにも見えた。

 いつもなら、まだ花子さんが消えるような時間ではなかった。外でずっと泣いていた私は、さらに大声を出して泣いた。先生には、私が泣いている理由はわからないかもしれない。でも、先生は何も言わずに、私が泣き止むまでそばにいてくれた。泣き止んだ後、私は先生に断り、一番奥のトイレに入った。初めから何もなかったかのように、そこには誰も、幽霊もいなかった。

 先生と花子さんが何の話をしたのか、結果どうなったのか、私は聞かなかった。花子さんがいなくなった。いなくなれた。それが全てだったのだ。本当は少し、いやけっこう気になったのだけど。どんな答えであれ、私にはその質問への回答を、受け止められる自信がなかったのだ。

「秋、明日も運動会の練習あるし、そろそろ帰るか?それとも、明日は休む?」

「ううん、行く」

 友達の願いを叶えたかった私、幽霊に会いたかった先生、好きな人をずっと待っていた花子さん。皆の願いが叶ったそのトイレは、暗闇の中、とても、静かだった。

 バイバイ、花子さん。また、いつか。

 私を家まで送る車の中、ハンドルを握る遠藤先生の左手の薬指には、大人しめの指輪が光っていた。

「先生の奥さんって、どういう人なんですか?」

 私はふと聞いてみる。決して、奥さんと花子さんを比べてみようなんてつもりはなく。

「ん?あぁ。実は、同じ小学校の後輩なんだ。こっちに戻ってから知り合ったんだけどさ。実は…」

「実は?」

「何て言うか、その、トイレの花子さんの話で盛り上がったんだよ。『私、あの小学校で本当に見たんです』なんて言うからさ」

外を見ると、少し時期の早いクリスマスツリーが飾られていて、でもすでに灯りは消された後だった。

 


  大学に通うと同時に、私は家を出て、東京で一人暮らしをはじめた。

 とはいえ、今回もそうであるように、私はちょくちょく実家に帰ることにしている。この街が好きだし、両親も心配だ。

 「この街も変わらないねえ」

 小学校の前を通り、私はふとそんなことをつぶやいてみる。この街は変わらない。この小学校も、通学路も、まるであの頃のままだ。

「もしかして、秋?」

 突然したその声に、私は驚いて後ろを振り返った。

「吉良…?」

 そこに立っていたのは、吉良だった。背が伸び面影はだいぶ薄くなったが、こいつは、確かに吉良だ。

「何やってんの?」

「いや、別に。ちょっと散歩。吉良こそ」

「いや…俺、小学校の先生になろうかと思ってさ。今、教育実習でここ、通ってんだ」

「へー!立派になっちゃって!」

「はは、まあな」

 じゃあ頑張って、そう言って立ち去ろうとした私を、吉良が呼び止めた。

「お前、いつまでこっちにいるの?日曜もいるなら、どっか遊びに行かない?」

「え?…まさか肝試し?」

「いやいや、あれ、ひょっとして俺のことまだ何か恨んでる?」

 花子さんとの交流を綴ったあのノートは、今でも実家の引き出しに大切にしまってある。花子さんが消えたあの日、私は何もする気が起きなくて、あのノートを手にとった。そして、ふとあることに気がついた。10個の質問のうち、10番目の質問。「花子さんはどうやったら成仏できるの?」。その横には、見慣れない丸文字でこう書かれていた。 

「秋ちゃん、ありがとう♡」

 そして、「お化けが好きで足が速い男の子に、悪い人はいないよ(笑)」とも。

 それはわかってるんだけど…。あの頃のことを一気に思い出し、私は苦笑いをする。それを見た吉良は、不思議そうな顔をして、でも笑った。

【たまに小説とかも書いちゃう】 

Banner2_4

| コメント (8) | トラックバック (0)

2012年12月10日 (月)

コンビニ・ララバイ

今を遡ること、幾星霜。高校を出て、初めて一人暮らしをしたのが、中央線は立川という街。

 

そうそう!あの洗濯機置き場が部屋の中央にあるアパート!あんな攻めた間取り、中々ないよね。

 

そんな我が家から徒歩10秒という抜群の場所に、とあるコンビニがありました。老夫婦が経営する(多分)、どこの街でも見かけるコンビ二です。

 

いや、今更ながら言っちゃうと、コンビニってマジで便利。自由でありながら、何かと不自由な一人暮らし当初。そういうときにコンビニが一軒近所にあると、本当に心強いものです。

 

買い物だけじゃない。家族の元を離れて、ちょっとだけ寂しいときだって、そう。

 

家の電気が止められて、何もできない雨の日もね。郵便受けに、シーチキンの缶が入ってた夜もね。どんなに部屋にいたくないときも、暖かく迎えてくれる。煌煌と照らしてくれる。

 

そのコンビニに、新しい女の子のバイトが入ったのは、一人暮らしを初めて、3ヶ月頃のことだったと思います。いつものように自動ドアが開くと、そこには見かけない姿が。あれ?新人さんかな?

 

何だかんだ、7度見ぐらいしたよね。雑誌売り場過ぎて(1度見)、飲み物選んだあとに(2度見)、パンとかも拝みつつ(3度見)、いよいよレジで (4度見)、なぜか身に覚えのない麸菓子がカゴの中に入ってて(5度見)、去り際(6、7度見)。みたいな。

 

あのね、すげー可愛いの。女子校生なの。上はコンビニの制服で、下は学校の制服(スカート)なの。

いやいや、何だそれ。ちょっとカワイ過ぎるだろと。いや、顔も別嬪さんなんですけど、その格好に破壊力がありすぎて。100万円。

 

まぁまぁ、でも言ってもですよ。それぐらいでね、無駄金落とすかっていったら、落とさないんですけど。拝むよ?そりゃ拝むけども、ちょっとまだ売上には貢献できないレベル。

 

女子校生「こちら7円のお返しになります」(ソッと手を添えて

 

ただまぁ、それがあるなら話は別だよね。

 

ここ大事だから2回言うけど、おつりを渡すときに、僕の手の下に、自分の手を添えてくれるんです。自分の手を添えてくれるの。自分の手を添えてくれるんだ。伝わるかな。手と手が、触れ合うんですよ。スッて手出したら、ソッて包み込んでくれる。これがねー、良くて。

 

今でこそ、年もとりました。「ちょっとそれちょうだい?」って言われて、まぁ関節キスのような感じになったとしても、地蔵の如く不動。女の子にも慣れました。

 

でもその頃って言ったら、「俺、寿司ネタなのかな」ってぐらい、温もりとは縁遠く生きてきたわけですよ。そこに、スッでソッでしょ。もうね、キュン。イチコロニコロもチョロいもん。セミで言ったら8日目。シャケで言ったら帰郷。

 

いや本当にね、気持ち悪いって思われても仕方がないかとは思うんですけど。ピッタリ小銭持ってても、わざとお釣りが出るように千円札で払ったりだとか。それでいて、カッコいいとこ見せたくて、お釣り全部、レジ横の募金箱に入れたりだとか。アフリカに井戸掘りすぎて、家の水道代払えなくなったことも、正直ある。

 

それを潤い、というのか。ハリ、とでもいうのか。いたら嬉しいし、いないとつまんない。夏の暑い日、あの子に会うために、また僕は今日もアイスを買いに行くのです。

 

ただ、これまで手軽だった場所が、まぁ一気に格式高くなった感はあって。スエットじゃ行けない。底が抜けたサンダルも無理。たかだか乾電池買うのにもね、めいっぱいのオシャレをして。

 

一張羅のシャツに着替え、買ったばかりのズボンに履きかえ、お気に入りの帽子を被って。

そして、右手にはギターケース。

 

あれ、何だろ、最後のやつ。その音楽やってますアピール。コンビニでね、ギター弾かない。棚と棚の間の狭いとことか、はっきり言ってすごい邪魔。っていうか重い。

 

これはもう、ホントお恥ずかしい話なんですけど。当時は、ギター持って歩いてる自分が、スーパーサイヤかっこいいって思ってて。これほどイカしたアイテムもないと思ってて。いやいや、そういう時期ってあるじゃないですか。とくに男は。多分免許持ってたら、そのコンビ二(徒歩10秒)までバイクで行ってただろうし。そうよ、錯乱状態よ。

 

そんなある日の事。いつものようにそのコンビニで買い物をして、その日はその足で駅に。ちょっとした用事があったんですね。それでホームで電車を待っている間、その子にもらったお釣りを眺めてたんですけど。そうよ、それも末期よ。

 

んっと、何か多い。絶対多い。ズッシリしてる。

 

で、レシートを見てみたら、案の定、100円お釣りを多くもらい過ぎていたわけです。

 

この100円を私だと思って今後あなたの前に訪れるスクラッチとかゴシゴシ削って欲しいというメッセージ→2%
ただの間違い→98%

まぁ間違いでしょう。

 

いや、現場で気づけばよかったんだけど、そんな余裕ないじゃないですか。こっちはさ、「あ、袋いらないです」って言うだけでも、緊張して、「ハウルの動く城」に出てくる火のオバケみたいなやつそっくりな声になってるわけでさ。お釣りの多い少ないなんて確認できるわけない。

 

さて、ね。

 

これ、どうするか。返しに行くかどうか。いやいやいやいや、ね。もう駅まで来ちゃってるし、このあと予定もあるし。なんでわざわざ…「3番線に東京行きが参りまーす」。もう電車も来ちゃったしなぁ。ちょっとお釣りを多く貰っちゃったぐらい、何でもないよな…。

 

プルルルルルルル「3番線、ドア閉まりまーす」

 

走り出す電車。そして、ホームに残った僕。だってそのとき、確かに彼女の姿が浮かんだんです。「すいません、店長…許してください…」。俺がこの100円を持ってる限り、レジが合うことはないわけで。それは即ち、彼女の落ち度となるわけで。

 

お前は、何度あの笑顔に救われた?今度は、お前が救ってやる番じゃないのか?なぁ、なぁ、なぁ。…ふふ、そうだ、その目だ!さぁ、走れ!幸せの青い雲!青雲!

 

BGM:X JAPAN『紅』

 

女子校生「い、いらっしゃいませ…」

 

ハァハァと息を切らし、店に駆け込んできた僕を見て、彼女は驚いた顔をしていました。

 

僕「あ、あの…!」
女子校生「は、はい?」
僕「さっき、お釣りを多く貰い過ぎたみたいなんですけど…」
女子校生「え?あ、 わざわざすいません!」
僕「何か100円多く貰ってて、返そうと思って」
女子校生「ありがとうございます!」
僕「いえ…当然のことをしたまでです」

 

友達とか少ないけど、俺ってやっぱり、いいとこある。

 

女子校生「あれ、でも120円ありますよ?」

 

でも、ゲスだなって。

 

この期に及んでまで、手を添えて欲しい。でもって俺、恩を売ってちょっと有利な立場になった気でいる。で、でもホラ!結果としてちゃんとお金は返したし!イエーイ、神様見てるー?☆

 

でもねでもね、その一件以来、その子との距離が縮まったのも事実だったんです。それまでは業務的な会話ばかりがったのが一点、ちょっとした世間話をするようになったのです。

 

女子校生「今日も暑いですね」

 

もちろんね、まだこれぐらい。でも、嬉しかったなぁ。「えぇ。しかし、今日は月が綺麗ですよ」。言わない言えないとんでもない。実際は、口の端に泡つけて「ヴンっ」って頷くのが精一杯だった。それでも、幸せだったから。

 

すべてはおよそ10年とかも前の話で。今、彼女は26とかって歳になっているのでしょう。

 

 

------最終話「大家襲来」

その日も、UKIUKIな気分でコンビニに向かった僕。しかし

 

大家さん「あらー?斉藤さんじゃないのー!何やってるの!?これからお買い物!?」

 

う、わ…。その日、コンビニの前で偶然会ったのは、うちのアパートの大家さんでした。まぁまぁこれだけ近ければね、そういうこともあるっちゃある。 それはわかるんだけど。

 

大家さん「私もなのよ!何買うの?野菜?じゃあ一緒に行きましょ!」

 

でも、ここでは、マジでここでだけは会いたくなかったなと。

 

いや、ホント悪い人ではないし、いくつになっても元気いっぱいなのは素晴らしいことだと思う。ただ尋常じゃなく声がでかいのと、何て言うか、あまり遠慮のない人で。

 

女子校生「いらっしゃいませー」

 

正直ちょっと、一緒にいるところを見られたくないと言うか。

 

大家さん「そうそう、斉藤さん!あなたこの前廊下にオレンジ色のゲロ吐いたでしょ!」

 

一言で言うと、黙ってろと。口に高麗人参つめんぞと。いや、ホラ見てっから。あの子、俄然こっち見てっから。っていうかそれ俺じゃねーから!

 

大家さん「あ、そういえばさ、この前2階の廊下の網戸直してもらったじゃない?今度は違うとこが調子悪くてさ。今夜あたり、直してもらえないかしら?(ヒッソリ)」

 

そんでもって、なんでおいしいとこだけ小声なんだよ。それはむしろ聞かれたいやつなんですけど。

 

僕「あ、はい。別にいいですけど」
大家さん「ホント?助かるわー。いつもありがとねー!」
僕「いえいえ…」

 

っていうかなんで後ろついてくるの?ドラクエなの?

 

大家さん「あらちょっと斉藤さん!指から血が出てるわよ!」

 

全然気がつかなかったんですけどね、そのとき確かに、僕の人差し指からはうっすらと血が出ていました。でもあれ、舐めとけば治るよねってレベル。だから、騒がないで。お願い。

 

僕「え?あー、まぁどっかで切ったんですかね。まぁ、傷も浅そうだし、すぐ止まるんじゃないですかね」

大家さん「大変大変!バンドエイド買わなきゃ!」

 

いや、だから大丈夫だって。もう血も止まりかけてるし。全然へっちゃらだって。大家さーん?「えーっと、バンドエイドはどこかしらねー?」。…うん、まるで聞く気なし、と。

 

大家さん「あ、あったわ!はいこれ!これで安心ね!」

僕「あ、ありがとうございます…」

 

いや、どう見ても箱、カラフルなんだけど。どう見ても避妊具なんだけど。バンドエイド、その横にあるやつだから。

 

大家さん「あとは何買うの?」
僕「え?あ、こんなもんですかね」
大家さん「あらそう。じゃあ、はい(手を差し出して)」
僕「え?何ですか?」
大家さん「一緒に払ってあげる」
僕「いやいや、そういうわけには…」
大家さん「いいからいいから。網戸のお礼もあるし」

 

ホントにね、だから悪い人じゃないんですよ。いつもいつも、何かと気にしてくれて。まるで母親のように接してくれて。すごく優し

 

大家さん「あらやだ!斉藤さんったらこんなの買って!」

 

いや、それさっきあんたが渡したオカモトだから!記憶がもう!

 

大家さん「若いっていいわねー。ふふ。じゃあお会計してくるわ!」

 

こ、このババァを隠したい。奥の奥に。一緒に払ってくれたのはありがたいけど、それ以上に失ったものが多過ぎるわ。

 

大家さん「はい、これ。斉藤さんの分ね」
僕「あ、ありがとうございます」

 

あぁ、これでやっと解放される。と、思ったら出口付近でクルッとターン。

 

大家さん「じゃあ、(網戸の修理)また今夜ねー☆

 

だから最後まで声がでかいんだって!皆見てるからもうやめてー!

 

…あーでもやっと行ったわ。長かったけど、これであの子とまた触れ合えるチャンス。「あれ、うちのアパートの大家さんなんですよ(笑)」、僕は最初に発するべく言葉を、頭の中で繰り返します。大丈夫、この話はきっとウケる。よし、仕切り直しだぜ!

 

女子校生「…」

 

あれ、なんかすごい顔してない?

 

僕「…ど、どうも」
女子校生「…(ペコリ)」

 

え、引いてない?それもドンじゃない?

 

な、なんで…?確かに、大家さんの声は大きかった。多少の迷惑はかけたかもしれません。でも、だからといって、そこまで嫌悪感を丸出しにするようなことは…。えー俺、ほかに何かいけないことしたかな。別に思い返しても、これといって何もなかったような…。

 

えっと、まず大家と一緒に来店してー。それで、大家が避妊具を購入してー。最後に大家が「じゃあまた今夜ね」て言ってー…。

 

…う、うん。やっぱり何もない。え?声?別に震えてないよ?うん、何もない何もない…。

ぅぉぉおおおおやああああぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー!!!!!!!!

 

ご-かい【誤解】
[名]   (スル)ある事実について、 まちがった理解や解釈をすること。相手の言葉などの意味を取り違えること。思い違い。「―を招く」「―を解く」「人から―されるような行動」(デジタル大 辞典より引用)

 

いやいやいやいや!嘘でしょ?そんなことって、ねぇ?そ、そうだ!まず誤解とかなきゃ!ヤバい!落ち着け!

 

僕「ピザマンください」
女子校生「ありません」

 

えぇ。それ以来、二度とそのコンビニには行っていません。

 

すべてはおよそ10年とかも前の話で。今、彼女は26とかって歳になっているのでしょう。もし、もしあの日の出来事さえなければ、今頃はちょっと歳の離れたお友達として、お酒を酌み交わしたりも…そう、そんな在りもしない空想を思い描くばかり。

 

それからというもの、僕は、家から少し離れたコンビニに通うようになりました。

 

僕「あ、袋いりません」
中南米男性「フクロ?イラナイ?」

 

なぜか袋を剥かれたアイスを片手に、僕はまた彼女を思い出すのです。コンビニ・ララバイ。

 

【今年中に、あと3回更新したい】 

Banner2_4

| コメント (4) | トラックバック (0)

« 2012年9月 | トップページ