二人のヒーロー
うちの両親は僕が幼いときから共働きだ、という事はこのブログにも何度も書いた。だから平日、ババァが家にいることなんてほとんどなかったし、僕はいつも家で留守番をするか、すぐ近所のおばあちゃんの家にお世話になっていた。そんな日々を僕は別に寂しいとは思わなかったし、いや、そりゃ寂しくはあったのだけど、誰かを待つ寂しさと、待つ誰かがいない寂しさは色が違うと思うわけで。まぁ、そんな感じだ。
そんなババァがある日、まだ日も暮れないうちに、おばあちゃんの家に駆け込んできたことがある。息を切らして、すごい勢いで。他でもない僕を迎えに来たのだ。きっとおばあちゃんが心配して、ババァの職場に電話でもしたのだろう。「大丈夫!?」 ババァが僕の顔を見るなりそう言ったのを、記憶力の悪いこの僕が、まるで昨日の事のように覚えている。そんなババァを見たことが、僕にとってそれだけ特別だったのだ。
公園のブランコから落ちて地面に頭を打った。何のことはない。調子に乗って立ち乗りして、勢いについていけずに吹っ飛ばされたのだ。どこにでもありそうな、ほんのちょっとした事件。それでもおばあちゃんの家についた僕が、ひどく元気がなかったのは確かにそう。「何かあったの?」「ブランコから落っこちて頭打った」。痛みなんかはとっくになかったのだけれど、友達の前で醜態を晒してしまったということと、後は子供特有の甘え。それらの要素が僕の口数を減らした。そりゃおばあちゃんだって心配もするだろう。兎にも角にもババァはこうしてやって来たわけだ。
「病院行くよ!」。それからババァは僕にそう言った。「いやだ!」。僕はババァにそう返す。
病院が楽しくないところだと言うのは幼い僕にもわかっていたし、ことを大袈裟にするのも嫌だった。普段怪我も病気もしない元気だけが取り柄だった僕だ。病院なんか行かなくてもどうせ大丈夫だ。・・・だって注射されるかも知れないし。注射は怖い。
「お気に入りのウルトラマン持って行っていいから」
ウルトラマンの人形は、当時の僕の大のお気に入りだった。いつもポケットに入れて持ち歩いていたのだ。結局僕は、ババァの勢いに負け、渋々病院に行くことに。ウルトラマンの人形を片手に握り締め。
当時は何とも思わなかったが、今になれば少し感慨深いものがある。ウルトラマンの話だ。僕はウルトラマンの他にもいくつも人形を持っていた。きっと他の子よりもたくさん。その中でババァは、僕のお気に入りをちゃんと知っていてくれた。僕は朝早かったし、ババァは夜遅かった。親子が共有する時間は少なかったし、僕がババァの前でウルトラマンで遊んだことも少なかっただろう。それでも、あぁ、ちゃんと見ててくれたんだなって。気持ち悪いけれど、そんなことをほんの少しだけ嬉しく思う。
おばあちゃんの家の前に停めた自転車に、ババァが跨る。「後ろ乗って!」。またしても僕の返事は「いやだ!」。ババァの自転車の後ろには、いつの名残か、子供用の座席がついていた。え?それに乗れと?そんなの嫌に決まっている。幼いとはいえ、それなりにつまらないプライドがある。母親の運転する自転車の後ろに乗るのは、もっとちっちゃい子がすることだ。格好悪い。そんなこと恥ずかしくてできるもんか。それに僕だって自転車を持っていたのだ。しかし、ぶつくさ文句を言う僕を、ババァは一刀両断した。
「いいから早く!」
そう言って振り返った母の顔に、目に、声に僕は負けた。僕は生まれてこの方一度もババァを怖いと思ったことはないが、その時のババァには確かに迫力があった。でも、なんだろう。安心も、したのだ。普段より取り乱してるはずのババァなのに、それでも不思議と頼っていい気がした。安心感があった。今をもってあの時の感情に明確な説明はできないけれど、何ていうか、それが「母親」なのだろうな。
僕の小さな小さな事故に職場からわざわざ駆けつけてきて。息を切らして一生懸命心配してる。強引なまでに病院に連れて行こうとして。挙句のはてには自分の自転車の後ろに乗せようとしてる。なんだそりゃ。間違いだらけだぜ。でも、きっと、たぶん、こんな親だったからこそ、僕は留守番が寂しくなかったのかも知れない。一人でも孤独を感じずに済んだのかも知れない。それなりにいい親、だと思う。友達には会わせたくないけれど。
だから僕はそんな母親の言うとおり、自転車の後ろに乗ろうと決めた。
お気に入りのウルトラマンの人形。乗る際に邪魔にならないよう、先に座席に置いた。ババァに買ってもらった大切な人形。
ウルトラマンとお母さんがいれば、きっと病院だって怖くないんだ。なんて。
そしてババァがえらい勢いで自転車をこぎ始める。
すごいスピードで。
風を切って。
僕を置いて。
ウルトラマンを病院へ。
呆然である。
えええええ。ちょ、俺まだ乗ってないんだけど・・・。
少ししてババァが戻ってきた。高らかに上げた片手にウルトラマンを握り締め、どういうつもりか大笑いしている。ダメだ、完全にいかれてる。
そのときの僕が今の僕であったなら、強引なまでにババァを病院に連れて行ったことだろう。
まぁ自転車は無理だとしても、負ぶうぐらいはかまわない。
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