2008年5月 1日 (木)

二人のヒーロー

200805011 うちの両親は僕が幼いときから共働きだ、という事はこのブログにも何度も書いた。だから平日、ババァが家にいることなんてほとんどなかったし、僕はいつも家で留守番をするか、すぐ近所のおばあちゃんの家にお世話になっていた。そんな日々を僕は別に寂しいとは思わなかったし、いや、そりゃ寂しくはあったのだけど、誰かを待つ寂しさと、待つ誰かがいない寂しさは色が違うと思うわけで。まぁ、そんな感じだ。

そんなババァがある日、まだ日も暮れないうちに、おばあちゃんの家に駆け込んできたことがある。息を切らして、すごい勢いで。他でもない僕を迎えに来たのだ。きっとおばあちゃんが心配して、ババァの職場に電話でもしたのだろう。「大丈夫!?」 ババァが僕の顔を見るなりそう言ったのを、記憶力の悪いこの僕が、まるで昨日の事のように覚えている。そんなババァを見たことが、僕にとってそれだけ特別だったのだ。

公園のブランコから落ちて地面に頭を打った。何のことはない。調子に乗って立ち乗りして、勢いについていけずに吹っ飛ばされたのだ。どこにでもありそうな、ほんのちょっとした事件。それでもおばあちゃんの家についた僕が、ひどく元気がなかったのは確かにそう。「何かあったの?」「ブランコから落っこちて頭打った」。痛みなんかはとっくになかったのだけれど、友達の前で醜態を晒してしまったということと、後は子供特有の甘え。それらの要素が僕の口数を減らした。そりゃおばあちゃんだって心配もするだろう。兎にも角にもババァはこうしてやって来たわけだ。

「病院行くよ!」。それからババァは僕にそう言った。「いやだ!」。僕はババァにそう返す。

病院が楽しくないところだと言うのは幼い僕にもわかっていたし、ことを大袈裟にするのも嫌だった。普段怪我も病気もしない元気だけが取り柄だった僕だ。病院なんか行かなくてもどうせ大丈夫だ。・・・だって注射されるかも知れないし。注射は怖い。

「お気に入りのウルトラマン持って行っていいから」

ウルトラマンの人形は、当時の僕の大のお気に入りだった。いつもポケットに入れて持ち歩いていたのだ。結局僕は、ババァの勢いに負け、渋々病院に行くことに。ウルトラマンの人形を片手に握り締め。

当時は何とも思わなかったが、今になれば少し感慨深いものがある。ウルトラマンの話だ。僕はウルトラマンの他にもいくつも人形を持っていた。きっと他の子よりもたくさん。その中でババァは、僕のお気に入りをちゃんと知っていてくれた。僕は朝早かったし、ババァは夜遅かった。親子が共有する時間は少なかったし、僕がババァの前でウルトラマンで遊んだことも少なかっただろう。それでも、あぁ、ちゃんと見ててくれたんだなって。気持ち悪いけれど、そんなことをほんの少しだけ嬉しく思う。

おばあちゃんの家の前に停めた自転車に、ババァが跨る。「後ろ乗って!」。またしても僕の返事は「いやだ!」。ババァの自転車の後ろには、いつの名残か、子供用の座席がついていた。え?それに乗れと?そんなの嫌に決まっている。幼いとはいえ、それなりにつまらないプライドがある。母親の運転する自転車の後ろに乗るのは、もっとちっちゃい子がすることだ。格好悪い。そんなこと恥ずかしくてできるもんか。それに僕だって自転車を持っていたのだ。しかし、ぶつくさ文句を言う僕を、ババァは一刀両断した。

「いいから早く!」

そう言って振り返った母の顔に、目に、声に僕は負けた。僕は生まれてこの方一度もババァを怖いと思ったことはないが、その時のババァには確かに迫力があった。でも、なんだろう。安心も、したのだ。普段より取り乱してるはずのババァなのに、それでも不思議と頼っていい気がした。安心感があった。今をもってあの時の感情に明確な説明はできないけれど、何ていうか、それが「母親」なのだろうな。

僕の小さな小さな事故に職場からわざわざ駆けつけてきて。息を切らして一生懸命心配してる。強引なまでに病院に連れて行こうとして。挙句のはてには自分の自転車の後ろに乗せようとしてる。なんだそりゃ。間違いだらけだぜ。でも、きっと、たぶん、こんな親だったからこそ、僕は留守番が寂しくなかったのかも知れない。一人でも孤独を感じずに済んだのかも知れない。それなりにいい親、だと思う。友達には会わせたくないけれど。

だから僕はそんな母親の言うとおり、自転車の後ろに乗ろうと決めた。

お気に入りのウルトラマンの人形。乗る際に邪魔にならないよう、先に座席に置いた。ババァに買ってもらった大切な人形。

ウルトラマンとお母さんがいれば、きっと病院だって怖くないんだ。なんて。

そしてババァがえらい勢いで自転車をこぎ始める。

すごいスピードで。

風を切って。

僕を置いて。

ウルトラマンを病院へ。

呆然である。

えええええ。ちょ、俺まだ乗ってないんだけど・・・。

少ししてババァが戻ってきた。高らかに上げた片手にウルトラマンを握り締め、どういうつもりか大笑いしている。ダメだ、完全にいかれてる。

そのときの僕が今の僕であったなら、強引なまでにババァを病院に連れて行ったことだろう。

まぁ自転車は無理だとしても、負ぶうぐらいはかまわない。

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2007年11月 6日 (火)

カニ

Kani 小さい頃、実家にカニが届いたことがあった。誰が何のきっかけで送ってくれたのかは覚えていない。それがタラバガニだったのか、毛ガニだったのか、何ガニだったのかも覚えていない。でもカニはうちに送られてきた。そのカニはまだ生きていた。

うちのババァが無類のカニ好きだった。小食で偏食なババァだけど、カニを食べている時はいつもより幸せそうな食卓だった。誰かがそれを知ってて送ってきてくれたのかも知れないし、そうでないのかも知れない。我が家に届いたカニ。だからその日のババァはご機嫌だった。夕飯にカニが食べれるから。カニババァ。

でも僕は、カニを食べる気にはなれなかった。だってそのカニはまだ生きていたのだ。まだ生があったのだ。だから、僕はババァに直訴した。

このカニ僕が育てる

すんなりとババァはそれを面白がり、僕とカニの奇妙な共同生活が始まった。

洗面台に水を一杯に張り、その中にカニを優しく放り込んだ。カニが水の中で生きていることを幼き日の僕は知っていた。水の中でゆっくりと動くカニを僕は傍でずっと見ていた。片時も離れずに。トイレも我慢して。それに飽きた記憶はない。名前はつけなかったけれど、それは僕にとって初めてのペットとして十分だった。もしかしたら弟のように思っていたのかも。すごくかわいくて、すごく愛しくて、すごく8本足だった。

でも時間と共にカニは動かなくなった。ゆっくりが、もっとゆっくりになり、止まった。カニが水道水の中で生きられないことを幼き日の僕は知らなかった。カニは死んだ。

僕は大泣きした。

すごくたくさん泣いた。何時間も何時間も泣いた。カニが死んじゃった。涙は止め処なく溢れてきた。その流れ出るしょっぱい液体は、まるで海水のよう。かなり昔の話だけど、今でもはっきり覚えている。それほどに泣いたのだ。それほどな事件だったのだ。

ババァが頭を撫でてくれた。優しいねって。優しくなんかない。だって僕はカニを死なせてしまった。カニを死なせたのは僕だ。カニがなんで死んだのかはわからなかったけど、責任感と喪失感は、小さい体に支えきれないほど圧し掛かってきた。

夕飯にカニが出た。元々食べられるためにうちに来てくれたわけだし、美味しくいただくのが一番カニのためになるに決まっている。それは人間のエゴだけれど、そういうものだ。でも僕は食べる気にならなかった。みんなが豪勢にカニをほお張る中、一人卵かけご飯を食べた。別にカニを食べる皆を悪だとは思わなかった。カニは家族の血となり肉となった。

夕飯が終わり、カニは空になり殻になった。僕はババァに頼んでカニのハサミだけをもらった。形見って言うには変だったけど、まだ愛はあったし。形として残しておきたかったのだ。

それを手に握って眠った。泣きつかれたのもあったし、布団に入るとすぐ眠くなった。少し寂しくていつもよりババァの近くに寄った。手にはハサミがあったから、ババァの手は握れなかったけど、それ以外はちゃんと甘えた。そんな僕を見て、ババァはまた頭を撫でてくれた。カニを育てた僕と、僕を育てたババァと、ババァを育てたカニと。一つの布団の中で。まるでじゃんけん。カニはもちろんチョキで、カニに目がないババァはパー。ババァに弱い僕はグー。ババァは僕が眠るまで、頭を撫で続けてくれた。たぶんだけど。確かそうだった気がする。もっと小さなチョキを包んだ、小さなグーを撫でた、大きく優しいパー。遠い記憶の、消えないお話。布団の中はあいこだったから、誰もが許されてすごく暖かかった。

朝起きたらカニのハサミがババァの頭に刺さっていた

僕は大笑いした。

【最近横ばっかりで前に進めない↓】

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2007年10月22日 (月)

テルテル坊主とテルテルババァ

Teruteru うちのババァはよくしゃべる。うちの次男(僕)もよくしゃべる。ダラダラと内容のない会話を続け、ダラダラと内容のない時間を過ごす。しゃべっているのが好きで好きで、放っておいたらずっとしゃべり続けてしまいそうだ。近くにフラワーロックを置くと、すぐに電池が切れる。

だから従って電話も長い。それで朝日を迎えることも、それで夕日をむかえることもしょっちゅうある。耳が痛くなって、タバコがなくなって、飲み物がなくなって。ようやく気づく。明日の予定。早く寝なきゃ。そんなこと日常茶飯事なのだ。相手方もこんな僕によく付き合ってくれていると思う。本当に感謝感謝の毎日だ。

でもそんな僕も、そんなババァも、それでいてお互いの長電話にはひどく不快感を露にする。つまり、僕が電話をしているときはババァが、ババァが電話をしているときは僕が、ものすごい目つきで睨み付けているのだ。勝手なものだ。受話器を片手に長電話をする僕に、ババァは「早く切れ、出て行け」などと強い念を送ってくるが、そんなのに今更動じる僕じゃない。もう長年斉藤家の一員をやっているのだ。

人の電話というのはなぜこうも不快なんだろう。例えば電車内での通話はマナー違反とされている。でも、それより大きな音を立てて会話をしているグループもいるのも確かで。片方の発言が聞こえないから? あー確かにそれはあるかもなぁ。

この前実家に帰ったときの話だ。ババァが家で電話をしている。

「・・・そうね、そうそう!・・・えーホントに!・・・あはは!」

うるせーなー。さっきから何分電話してんだよ。まったくよ。

「・・・ほら、ダルビッシュがね」

あーまったく。主婦ってのはなんでこんなゴシップ好きなのかね。

「・・・スライダーがいいのよ!」

え、うそ、ちゃんと見てるの!?

「・・・パイナップル・・・やーね、食べ物じゃないわよ(笑)」

いや、パイナップルは食べ物だろ。え?何?手榴弾ってこと?何の話してんだよ。なんかこえーよ。

「・・・あ、息子にかわる?」

なんでここで俺が!?ふざけんなよ、マジで。

「・・・いいともー!!」

お、おい。まさかその電話はあの電話だったのか!?

とまぁ、このように電話を切るか、僕が席を外すまで、僕の精神は乱されまくりなのだ。確かに片方の発言だけだと会話の全容が見えず、余計な考察による疲れもある。

じゃあ僕も電話好き。ババァも電話好きだって言うなら2人で電話すれば万事平和解決か、と言われれば、これがまたそうでもないのだ。僕とババァの電話の相性はものすごい悪い。普通に会話しているぶんにはまったく問題ないのだが、これが電話となると、用件だけ伝えて速攻切る、というパターンがほとんどだ。電話の相性ってあると思う。普段は別にこれといって問題なく会話できるのに、電話になると急に何を話していいのかわからなくなってしまう相手、とか。僕にとってババァがそれだった。ちょっと照れくさいのもあるかも知れないけど。

今でこそ僕は家を出たし、スカイプという環境を手に入れたので、そうそう電話においての悩みが発生することはない。ただ実家にいた頃は、やはりそうもいかなかった。外に出て携帯からかければいいものの、やはり学生の身分では通話料金も気になり、親の目を気にしながら、なるべく声が漏れないように家から電話をする。相手が友達とかなら(合コンの作戦会議とか以外)特に問題はないのだが、これがもし彼女との電話だったらどうなるか。まるで背信行為かのように、怯えながら会話を続けなければならない。これがまた緊張するのだ。

当時高校生の僕。当時の彼女と何のことはない世間話をする。月が夜空に居座ってずいぶん経つ。いい時間。明日も学校だし。そろそろか。僕は少し沈黙を演出する。うん、言わないと。いや、言いたい。僕もそう言って欲しかったから、だったら僕が先に言わないと。

「・・・大好きだよ」

思い出しながら書いていて顔から火が出そうだ。でも、そうだった。ようやく出た言葉。甘い。彼女もそう言ってくれる。周りを気にしているのだろう。彼女の声もいつもより小さい。僕もそうだったから、よくわかる。でもすごく大きな意味があった。幸せだった。青春だった。少し名残惜しいけど電話を切る。きっといくら電話したって同じだから。本当は満足してるんだ。だって今の僕は顔がにやけている。

さて問題はここからだ。子機をそっと元の位置に戻す。肝心のババァは・・・こたつで寝ている。よし、聞かれていない。恥ずかしい部分は聞かれていない。僕はほっと胸を撫で下ろした。大丈夫。ミッションコンプリート。ふと、ババァの目の前のメモ帳が目に入った。

あっぱれ

さっきまではなかったメモ帳に、筆ペンでそう書きなぐられていた。・・・終わった。

僕は家出を決意した。

ババァからは今でもちょくちょく電話がかかってくる。兄貴にもそれなりにかけているらしい。心配してくれてる、というよりは暇なんだろう。

「今日帰ってくる?」

「んーん、帰らない」

「なーんだ。じゃーねー」

たった三言の家族の会話。僕はいつも帰る日があれば前もって言っているし、ババァもそれをわかってていつもこんな電話をしてくる。もちろん、不快ではない。

僕とババァの電話はすぐ切れる。

でも少なくともこんな電話がある限り、僕とババァはきっと切れない。

【0120-ランクリ大好き↓】

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2007年9月20日 (木)

みぴょこぴょこ

3pyoko 実家にカエルが出た。

なぜ?なぜこんなところにカエルがいるの?僕は生まれてこの方東京暮らし。こちとら江戸っ子でい、なのだ。だからそうそうカエルなどお目にかかれるものじゃない。少なくとも家の中でカエルをみたのはこれが初めてだった。すごく小さくて、鮮やかな緑。「うわぁ、カエルがいる」なんて何の工夫もないことを言ってしまう。深夜の突然のお客様は、ソファに我が物顔で座っていた。我が家は4階。一体どうやって入り込んだのだろう。まさか階段を一段づつ登って?確かにそれはカエルっぽいけど。エレベーターに乗ったのか?だとしたらよく4のボタンまで届いたものだ。カエルの跳躍力は侮れない。

そこに僕の最愛のペット、愛犬セプがやってきた。僕だって、さっきも言った通りカエルなんてあまり見たことがないのだ。僕の3分の1ほどしか生きていない彼女にとっては、おそらく初めての出会いだっただろう。彼女の目には一体どう映っているのだろうか。不思議そうな顔をしている。別に恐怖ではないようだ。食べちゃダメだよ。

捕まえて外に逃がそう。僕はそう考えた。まさか飼うわけにもいかないし。この東京砂漠でカエルが無事生きていけるかは疑問だったが、少なくともうちにいるよりは可能性がある。僕はカエルにそっと手を伸ばした。跳んだ。少しビックリした。

そりゃそうだよな、カエルだもんな。跳ぶよな。

大丈夫、恐くないよ。僕は君の味方だよ。

僕はそっと手を伸ばした。また跳んだ。僕はそっと手を伸ばした。また跳んだ。・・・この野郎。幾度も挑戦するが捕まえられない。

おいおいおい。逃がしてやると言っているのに。お前は外の世界に飛び立ちたくないのか。なんどやってもカエルは僕の手からすり抜けていく。

こうなると僕も段々と本気になってくる。絶対に捕まえてやる。僕は腕まくりをした。そしてさっきまでの4倍の速さで動く。ふふ、この動きについてこれるか、緑の者よ。くらえぇ!シュッ!

カエルが跳んだ。僕の手が壁に突き刺さった。あ・・・あ・・・。い、痛い。ち、ちきしょう。カエルはなにやら僕をバカにしたような目をしている。ふふ、わかったよ。確かに僕の力だけじゃ捕まえられないようだ。でもここは斉藤家。文字通りホームだ。運が悪かったな。我が家のとっておきのコンビネーションを見せてやる。いくぞセプ!

僕はカエルをじわりじわりと追い込む。少しずつ逃げ道を断っていく。最終的に1本だけ残した逃げ道。その先にはセプがいる。見たか。これが知恵だ。これが斉藤家だ。作戦は完璧。カエルは僕の思惑通りに動き、ついにポイントに差し掛かった。さぁ、今だセプ!捕まえろ!

セプがお腹を見せて寝転がった

な、なぜだ!?なぜそこで服従のポーズを!?なぜカエルに敬意を!?最近じゃ僕にも見せないお腹をなぜ。

どうやらいつの間にか、

カエル>愛犬>僕

という絶対に信じたくない図が完成しているみたいだ。もしかしたらセプは、カエル一匹捕まえられない僕に愛想をつかしたのかもしれない。言い訳しようにもできないし。まったくセプといいカエルといい、言葉が通じないというのは困ったものだ。一体どうすればいい。

深夜のドタバタ騒ぎに、親父が起きてきた。これ幸いと、僕はことの顛末を話す。親父は視線をカエルにうつす。そしてまた僕を見た。

「何、お前カエル一匹捕まえられないの?なっさけない。これだから現代っ子はなぁ。まぁ見てろよ」

カエル一匹で頭ごなしに否定されるのは少し納得がいかなかったが、これは期待できそうだ。任せたぞ、親父。俺が小さい頃はなぁ・・・誰も望んでないのに語りだす。ただその視線は確実にカエルを追っている。親父は闇雲に手を出さない。なるほど、次に跳ぶ地点を計算して捕まえる気か。さすが長寿の功。そして訪れたその刹那。勝負は一瞬だった。僕の目には親父の手の動きがほとんど捕らえられなかった。

「どんなもんだ。ホラ、逃がすなよ」

親父が僕の手に手を重ね、手を開いた。しかし中には何もいなかった

ふと下を見ると、カエルがピョンピョンと元気そうに床を跳ねている。

おいおいおい。親父さん。偉そうなこと言っといて全然捕まえられてないじゃないの。完全な空振りじゃないの。さっきの大袈裟な動きは一体何なんですかね。

深夜のドタバタ騒ぎにババァが起きてきた。これ幸いと、僕はことの顛末を話す。

何?こんな時間に帰るの?

この人はダメだ。

そのあとも親父と僕で協力しながら、カエル捕獲に必死になった。なんとか捕まえられた頃にはもう空が開け始めていた。なんだか少し楽しくなってる僕がいる。思えば親父と何かをするというのもあまりなかったなぁ。カエルの捕獲なんて、自慢できるような家族計画じゃないけどさ。でもこれがカエルがくれたプレゼントだとしたら、決してお粗末なんかじゃない。

僕はカエルを逃がさないように慎重に外へと運んだ。

手を開けるとカエルは少しだけ僕の手に残り、すぐに外の世界へと旅立って行った。僕は口に出さず思う。

達者で暮らせ。

ついでに飲み物とタバコを買って家に帰った。最近の朝はもう、少し肌寒い。

家に着くと、親父もババァもまた眠ったようだった。いつも通りの静かな家。

さっきまでカエルが座っていたソファーに今度は僕が座る。

セプが近寄ってきて膝の上に座る。

ずっとここにいたいと思った。ずっとこのままでいて欲しいと思った。

少しだけカエルに悪い事をしたと思った。

【僕も高く跳ねたい↓】

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2007年8月15日 (水)

ベイビーアイドルベイビー

Babyidol 我が家の姫はみんなのアイドル。

我が家の姫はみんなのアイドル。

なんて愛らしいんだろう。チコチコと短い足を一生懸命に動かし、玄関をくぐった僕を迎えるその姿。僕の親指ほどしかない尻尾は右へ左へ大忙しだ。ひっくり返って見せるお腹。いくらでも撫でてやろう。もうチュウしてやるんだから。あぁ愛犬。君に会えてよかった。

僕が中2のときだったと思う。我が家にペットがやってきた。僕の長年の願いが叶った瞬間だった。メスのトイプードル。まだ生まれて間もない子犬だった。シルバーの毛並みは、その色の持つ印象とは裏腹にキューティクルで。その子は「セプ」と名づけられて斉藤家の一員となった。セプちゃん。名付け親はババァなのだが、この命名に関してはいい仕事をしたと思う。うん、いいよセプ。誕生月からとったらしい。つまりセプテンバーのセプということだ。

セプが初めてうちに来た日、小さいその体は休むことなく小さく震えていた。慣れない環境に戸惑い怯えていたのだろう。その夜のこと。セプの居場所のカゴを設置するために少しだけ狭くなった家に、セプの掠れた切ない鳴き声が響く。寂しさと寂しさをこすり合わせたような音。とても聞いていられない。僕は抱っこしてカゴから出してやる。そうすると震えは止まらないものの鳴き声は止んだ。やっぱり外がいいらしい。カゴに戻すとまた鳴き出す。ダメだこりゃ。犬がうちに来ると聞いて、喜び勇んで用意したカゴ。セプは二度とその中に戻る事はなかった。こうして愛犬は初日から自由を手に入れたのだ。その晩セプはずっと僕の顔を舐めていた。

躾がなんだ。息子の躾さえまともに行わなかった斉藤家だ。噛まれたって痛くないし、むしろかわいいじゃないか。うまい具合に臆病だから他人は噛まないし。人が来ても抱っこしてたら吠えないし。ちゃんとトイレはできるのだ。すごーい。自由に生きたらいい。縛ることなんてない。元気にそこにいてくれるだけで十分だ。他に何を望もうか。ネコに負ける番犬だっていいじゃないか。

セプは家族やその周りから溺愛された。いっぱい撫でられ、たくさん自慢された。セプがいるだけで斉藤家が何かいい方向に向かっている気がした。いつも注目の的だった。セプはまた、有り余る愛情を一身に受け止めた。それは小さな体でも与えられたものを残さず食べると言う見上げた精神にも表れる。愛情の化身、卵ボーロを食べ過ぎて病院送りになったこともある。

それにセプはかわいいだけじゃない。彼女には才色兼備という言葉が似つかわしい。思いやりもある。

餌をちらつかせた時にのみ、お手をする。なんて賢いんだ。見返りがあってこその行動。給料がための労働。そうだ、それでいい。

冬場はこたつから出てこない。文明をも使いこなすこの知能。たまに自分でスイッチ入れてるんじゃないかと疑ってしまうほどだ。

フリスビーを投げると、とりあえず追いかけるものの行き過ぎてしまう。必ず追い越してしまう。あぁ、君は前だけを見ているんだね。少しでも前に進みたいんだね。なんて志の高い犬なんだ。それにセプの光速の足に見合う速度で投げれない僕が悪い。

親父の靴下を永遠かじっているところを見ると、家族思いだとほころんでしまう。電子レンジに向かって吠えるなんて、なんとメカにも強いようだ。

セプがうちに来て初めての誕生日のときに、僕はセプにその背の丈ほどもある骨を買ってあげた。自分とほぼ同じ大きさの骨にセプは夢中でかじりついた。そしてすぐに飽きた。3日後には枕にしていた。当初の目的とは多少違うものの、その余りの犬らしい光景は見ているだけで幸せになった。価値のある買い物だったと心から思えた。ただその時初めて気づいたことがある。セプの誕生日が8月なのだ。話が違うじゃないか。8月は僕の知る限り、もちろんセプテンバーではない。かといって今更オーちゃんになってもらうわけにもいかないし。セプの生涯をかけての勘違いだ。いいか、8月はオーガストで9月がセプテンバーだ。本当にババァにはいい加減にして欲しい。中1から英語をやり直せ。

こんなにかわいくてこんなに賢い犬はいない。家族中が本気でそう思った。

ある日うちのおじいちゃんが亡くなった。人一人分のエネルギーが消失した家。おじいちゃんの家にセプを連れて行った。セプは不思議そうな顔をしていた。何かがわかったのだろうか。セプは家中鼻を利かせながら歩き回る。いつもセプにそっとご飯を与えていておじいちゃん。誰もが知ってて誰もが許したその背徳行為。セプはおじいちゃんに懐いていた。セプはおじいちゃんがいつも座っていた座椅子にちょこんと腰を下ろした。そしてそのまま寝てしまった。いつもそうしていたように。お腹を見せて。セプの愛らしさに目が眩んでしまった僕だから。セプの行動が全て天使の施しに見えてしまう僕だから。それだけで心が締め付けられるには十分だった。撫でて欲しいの? それとも撫でてもらってるの? セプはしばらくそうしていた。

今僕が21だからもう長い付き合いになる。ずいぶんと一緒に生きてきたものだ。悩みを相談した日は不思議そうな顔をしていたっけ。一緒に寝た日は僕の上に乗って安眠を妨げてくれたっけ。青春を送る僕の横で、君はあくびをしてたっけ。実家を離れて、セプと毎日会えなくなってもうずいぶん経つ。それでもたまに帰った日にはちゃんと僕を覚えててくれる。

臆病で犬の友達がいないセプ。窓の外で犬の鳴き声がするとすぐに走り出す。散歩中に他の犬を見つけるとずっとそっちを見ている。寂しいのかなとも思う。僕らはどこかで至らないのかな。でもお前はちゃんと家族だよ。紛れもなく。種族の壁を越えてお前を愛そう。好きなだけ鳴いたらいい。でも泣かすようなことはしないつもりだから。

セプはもうおばあちゃんになった。僕が呼んでも振り返らない。「ご飯」と「散歩」には反応するくせに。あの日、初めてセプがうちに来た日とは違った意味で僕をなめている。でもそれでいい。何でもいい。ただただこれからも長生きして欲しい。

ずっと。ずっと。ずっとずっとずっと。

みんな長生きして欲しい。

ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと。ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと。ずーっと。

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2007年7月20日 (金)

箸を持つのが苦手な斉藤アナスイさん

Hasinomotenai_2  ココログにもそう紹介されたように、自分でも前々からそう言ってた様に、僕は箸を持つのが下手だ。下手、というより持ち方がおかしい。まぁ役目は果たしているので僕としてはかまわないのだが、豆なんか相手にすると連戦連敗だったりもする。

でもできればずっとこの持ち方でいきたいんだなぁ。それは正しい持ち方を練習するのが面倒だとか、今の持ち方に慣れてるからとかじゃなくて。ちょっと僕なりの思い入れがあるのだ。直さないで済むなら、誰にも咎められないならできればそうしたい。でも確かに我ながら変な持ち方なんだよな。なんだこれ?って自分で思う。周りからバカにされたりもする。ただ、自分の他にこの持ち方をする人を僕は1人だけ知っている。それが僕の3つ上の兄だ。

うちの両親はずっと共働きで、幼い頃の僕と兄はいつも家で二人きりだった。僕はいつも兄の後ろをくっついて歩いていた。いつも兄の真似事ばっかりだった。兄があんな絵を描けば、僕もあんな画を描いた。兄がゲームをやっていれば僕もゲームをやりたがった。でも兄はそんな僕が鬱陶しくてたまらなかったのだろう。僕はそのことで何度も何度も泣かされた。今思えばしかたのないことだ。兄にも兄の、幼い子供なりのテリトリーがある。僕は平気でそこに踏み込んでいたのだ。でも僕は兄の背中を追うことをやめなかった。と言うよりきっとそれしかできなかったのだ。その度に泣かされては、またついていくの繰り返しだった。それは成長してからもあまり変わらない。目線が少し上になっただけで。兄の好きな服装を真似ては、好きな音楽を真似た。同じ私立の中学に進んだ。それに対し、兄が不機嫌になるのもずっと変わらなかった。

僕が兄がタバコを吸うところを初めて見たのは、兄が中2の時だった。そして僕が初めてタバコを吸ったのも中2のときだ。むせて咳き込んですぐに消した。でもそれでよかった。僕にとっては初めてのタバコを中2で吸うことが大事だったのだ。20歳を過ぎた今の僕はタバコをもうやめることはできない。兄は禁煙に成功した。この差は一体どこからくるのだろうか。

兄が友達といるときも僕はそばにいた。ただそれはそばにいたというか、兄とその友達は何故か僕の部屋で麻雀をやっていたので他に行き場所がなかっただけの話だが。兄があがるとすごく嬉しかった。兄が負けるときっと自分が負けたよりも悔しかった。

僕が中学生で、兄は高校生で。うちの学校はエスカレーター式なので同じ校舎だった。兄が停学をくらったとき(確かタバコ)は何故か僕まで先生に怒られた。おいおい。血が繋がっているというだけで、僕はまったく関係ないのに。まったく筋の通らない話だ。

兄は昔から決して模範的な兄ではなかった。僕をすぐパシリに使い、しょっちゅうケンカもした。子供の年で3つというのは大きな差だ。泣かされるのは当然いつも僕になる。力でも口でも勝てやしない。完全に子分だった。たった3年先に生まれてきただけのくせに。なんで僕が弟なんだろう。僕はいつも理不尽に思っていた。長男なりの苦労なんて、幼い次男にわかるわけもない。兄を恨んだ時間もなかったといえば嘘になる。ずいぶんと迷惑かけられたものだ。わがままで自由で。優しくされた記憶なんてほとんどない。

でも今の箸の持ち方を教えてくれてのもまたそんな兄だった。幼い日のことだ。箸が使えずに困っていた僕を見かねて教えてくれたのだろう。僕が笑われないようにって。弟である僕を苛めていいのは兄である自分だけだって。いや、実際知らんけど。そう思ってくれてたら嬉しい。それは初めて兄が許してくれた真似だった。でもおかしな話だ。笑いながら泣きそうな話だ。だって教わった僕の持ち方がおかしいのだから、当然教える兄の持ち方もおかしいことになる。自分でもできないのに。自分だってうまくできないのに弟に教えるなんて。なんて拙いんだろう。バカだなぁ。ははっ、目の奥がツーンとしやがる。それは箸の持ち方同様、兄なりの不器用な弟の守り方だったのだと思う。

親の背中より兄の背中を見てきた僕だから。ほとんど親代わりだったから。兄がいなかったら今の僕も確実にいない。今でも長男の苦労なんてわからないけど、今は弟でよかったって心から思える。

だからこの箸の持ち方は僕らの絆なのだ。兄はそんなこと考えもしていないだろうけど。少なくとも僕にとっては。もちろんそれがよくないことはわかっている。正しい使い方ができないと、時として見下されることもわかっている。でも。

この持ち方をバカにされるとすごく悔しくなる。涙が出そうになる。顔で笑って心で泣いて。そうなんだよ、おかしいだろって一間遅れでおどけて。兄弟愛なんて美しいものじゃないことは僕が一番わかっている。でもまた誰かに汚されて平気でいられるようなものでもないのだ。

兄は僕が大学1年の時にアメリカに飛び立った。今もなお向こうにいる。連絡はほとんどない。たまにメールが来たか思えば「あれ買って送ってくれ」といったような自分勝手な内容ばかりで。
兄は留学したのだ。留学を決めてから本当にあっという間だった。何も残さずに飛び立った。その行動力は自由奔放なあの人らしい。でも僕はもう真似しない。アメリカに行きたいとは思わなかった。僕らはちゃんと別々の時間を歩みだしたのだ。寂しいとも悲しいとも思わない。自由になれて嬉しいとさえ思う。でも、向こうでアメリカ人にその箸の使い方を教えないでいて欲しいなぁ。それは間違った日本文化でもあるし、その持ち方は僕と兄2人だけの絆であって欲しいから。
兄は昔から本当に自由な人だった。また依存しない人だった。留学する日も、空港までの見送りを断って一人で行った。でも子分の僕だけは、家の近くで止めたタクシーまで荷物を運ばされた。子分というポジションを少し嬉しく思った。きっとこの人は連絡なんかしてこない。親も僕もわかっていた。連絡しなくても家族は心配しない。兄はそれをわかっていた。タクシーのドアが閉まる。次に帰ってくるのは来年なのに別れのセリフすらもない。まぁまぁあんたが楽しくやってくれりゃそれでいいよ。タクシーは走り出した。僕は家に帰った。何も変わらないいつも通りの帰り道だった。

ところが数日して兄からメールが来た。僕は驚いた。あの兄貴が連絡してくるなんて。一体何が起こったんだ? もしかしたら早くもホームシックにでもかかったか? かわいいとこあるじゃないか。しかしそこに書かれていたのははアメリカの感想でも兄の心境でもなかった。


お前の原付の鍵持って来ちゃった




・・・あ、兄貴。ふざけやがって。お前のせいでバイト遅刻したんだぞ。でもそれがあまりに兄らしくて、僕は怒るよりも笑ってしまった。

ババァがこんな質問を僕にしてきたことがある。

「もっと兄弟欲しかった?」

僕は首を横に振った。兄は1人で十分だ。もう1人いたらこっちの身が持たない。でもいてくれてよかった。僕に間違った箸の持ち方を教えてくれた。

弟はもっといらない。あれだけ嫌だった兄の子分だけど、もう1人いたらきっと嫉妬してしまう。兄の子分は僕だけで十分だ。

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2007年7月 4日 (水)

2の息子

2_1 はてさて昨日の火災報知器誤作動事件から一転、静かな夜である。火事になったときに何を持ち出すかという話を少しだけしたが、大事な思い出の品は一箇所にまとめておいたほうがいいと学んだ。

実家のある場所にもそういった一角がある。過去の思い出がたくさん詰め込まれている。最近は見る機会もないのでどうなっているかわからないが、過去に見たときには僕ら兄弟の学校の通知表なんかが入っていた。はっきり言って全然いらないけど。ヤギに食わせたいけど。

僕の小学校の通知表はすごくつまらない。通信簿って言ってたっけな。3段階評価で3が一番上、1が一番下というジャッジシステムだった。教科ごとに数字のスタンプが押される。

僕の通信簿には2しかなかった。国語も算数も2。社会も理科も2。図工も音楽も体育も2。オール2。可もなく不可もなく2。1年生の2学期から5年生の3学期まで全部オール2。本当の話だ。2のスタンプ以外売り切れてたんじゃないかと疑ったが、友達のを見せてもらうと、ちらほら3がある。

学校側が僕におした烙印は「普通」だった。全部普通だった。なんのドラマもない。最初の頃こそ通信簿を手渡される度にドキドキもしたが、学年が上がるにつれ、いつしかそんな緊張も薄れていく。だってほぼ5年間も続いたのだ。2ばっかり。走っても走っても2が追いかけてくる。どうやってモチベーションを保てと?

本人がそうなんだから、子供の成長を見守る親にしたって変わらない。最初は通信簿をもらった日の夜は一大イベントだった。通信簿を睨む両親の前に座り、一言を待つ。親は、今思えばポーズだけで本当は何も考えていなかっただろうが、「まぁまぁだね」だの「現状維持だね」などと、それらしいことを言っていた。ところが、いつまで経っても息子の通信簿には2しか記載されない。終いには「2?」と一言だけだけ聞いて、僕が頷くだけで終わる始末だった。怒るにも怒れないし、褒めるにも褒めれないし、親だってこんな普通の息子の成績にさぞ退屈だったであろう。

だから6年生になって3をとったときはビックリした。ビックリというのもおかしな話だが、僕にとって通信簿は2の紙だったから。嬉しいっていう気持ちも、そりゃ少しはあったけど驚きのほうが強かった。教科はなんだったかな。別に例年に比べ、何か特別な事をした覚えはないが、でも3が2つ3つあった。そのときは親も喜んでくれたと思う。

小学校の通信簿には保護者が一言書く欄があった。他の小学校もそうなのかは知らないが、少なくともうちの学校にはあった。ここにババァが調子乗って書くわ書くわ。本領発揮である。「今年も2ばかりの成績で・・・」などはまぁしょうがない。ただ「息子が夜中に台所を徘徊している」だの、「息子が犬の首輪を自分につけようとして、首の筋を痛め病院につれていった」だの余計な情報を次々と先生にリークする。挙句の果てには「最近お母さんは朝ごはんに凝っています」などと僕にまったく関係のないことまで書いていた。日記じゃねぇんだから。独特の丸文字で好き勝手暴れていた。

中学高校も別に目立つような成績はとらなかった。中の下ぐらい。高校最後の期末テストでちょっと本気になったときは、それなりに優秀な成績を収めたのだがそれぐらいか。兄貴がまた飛び切りのご陽気な成績を取っていたために、うちの息子達はバカだというイメージが勝手にババァの中にに植えつけられていて、普通にやっていた僕まで何故かそこに含まれている。たとえ最後の期末で優秀な成績をとろう、その程度じゃイメージは拭えず、僕は今でも勉強できないと思われている。それなりに頑張ってはいるつもりなのだが。

中学高校の通知表は、小学校に比べて少しだけ複雑になる。数字系にめっぽう弱いババァにはちと把握しきれなかったのかな。教育ママの反対の単語を僕は知らないが、もしあるとするならばうちのババァがそれだろう。ババァは僕ら兄弟をそんな物差しで計ることはなかった。そんな物差しは高くて買えなかったのかもしれない。僕らの成績に興味がないって言うんじゃない。自分の理解できる範囲で理解しようとしていたのだ。授業参観だって仕事を休んで来てくれた。

大学の成績通知なんかはもうほとんど理解ができない様子だ。確かにうちの大学の成績通知はわかりづらい。在学生の僕にとってもそうなのだから、ババァにとっては尚更だ。それぞれの科目名の横に書かれている、取得単位の2だの4だのを見て、「これ何段階評価?」などと言っている。ちょっと説明しても「偏差値ってこと?」などと言い出す。そんなわけないだろう。偏差値2ってあんた。虫だってもっととれるよ。あんたも大学出てるじゃない。一体何をやってたの?

はっきり言ってどんな悪い成績でもいくらでもごまかせると思う。でも親がわからないからって手抜くのは不細工だ。わからないからこそ心配かけたくない。いい成績をとったところで、今更褒められる事なんてなけど褒められたくてやってるわけじゃないしな。こんなこと言うのもアレだが、僕は勉強が嫌いじゃない。大学での勉強は時に楽しいとさえ感じる。でも例え留年したって、うちのババァは笑い飛ばしてくれるだろう。それが斉藤家のスタイルだ。

自分で言うのもなんだが、僕は今授業もちゃんと出てるし、人に見られても恥ずかしくない成績をとっているつもりだ。それは好きにやらせてもらってるババァに対するけじめというか、まぁ恥ずかしいけど僕なりの一つの恩返しでもある。

今年もそろそろ前期が終わり、またババァの元にわからない成績通知を見せるだろう。でも本当の意味じゃババァに僕の成績は見えない。仮にそれがどんな優秀だって、ババァの中では僕はバカなのだ。でもそれでいい。

わからなくても今でも「通信簿見せて」って言うその姿勢に、小学校からの通知表をしっかり保管している思いに、僕なりに温度を感じてんだぜ。大学の成績通知は「通信簿」なんて本当は言わないけど、それでいいよ。わかんなくたってちゃんと歩み寄ってくれてるんだよな。

そんな母親らしくない母親に、でも僕は1をつけられない。でも3はもっとつけられない。2の息子には2の親でいい。だがそれは決して「普通」という意味の2ではない。

僕はやはり2から逃げ切れない運命にあるらしい。

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2007年3月15日 (木)

不思議の国の冷蔵庫とババァ

「冷蔵庫」

①中に食べ物を入れ一定の温度に保つ

②メモを貼る。

うちの母親は冷蔵庫にすぐメモした紙なんかを貼る。マグネットでペタリ。忘れてはいけないこと、忘れたくないこと。人生において少なくない。(冷蔵庫に貼るような情報は大体人生とは深く関係ない)

母親も老化が進むにつれ、物忘れがひどくなってきたのか、ここ最近は貼りに貼る。まぁ苦労はお察しするが、それにしても、ちょっとばかり貼りすぎなのではないか。

僕が小学生のときは、その一面に貼られるのは、学校でもらってきたプリントたちだった。参観日のお知らせプリント、運動会や音楽会のお知らせ、給食の献立表(にも関わらず、給食と夕飯がよく被っていたのは、何かの嫌がらせなのだろう)。などなど。一番大事な学費なんかのプリントは見ていない。おそらくあまり興味がなかったのだろう。ババァが貼ってるプリントは大体親御さん参加型イベントのお知らせだけだった。きっとガキどもに混じるのが楽しくて仕方なかったのだろう。

中学、高校になると学校からもらうプリントの数も減り(もらっても親に渡さなくなり)、冷蔵庫の表面のフリースペースも増えてきた。学校と親の関わりなど、もはや授業料の話のみである。僕の学校は私立だったので中学から給食もなかった。(お昼に食堂で食べたものと、夕飯が被るのは何かの嫌がらせなのだろう。)

さぁこうなると、冷蔵庫はババァテリトリーとなる。学校からの配布物が減るにつれ、ババァは自由になる。学校と親の距離が遠くなるにつれ、ババァは高く飛ぶ。

そして大学に入ってしまえば、その一面はもはやすべてババァのものだった。大学側が送付してくる書類など、年に数回しかない。それもそのほとんどがマネーに関する代物だ。そんなものではババァの気を引く事はできない。お金を振り込んだら即ゴミ箱行きの運命だ。

さて、じゃあその自由になったスペースをババァはどう活用したか。

冒頭でも書いたようにやたらと貼ったのだ。

わけのわからないメモが書き込まれたカレンダー。7月13日の欄に、一文字だけ「」と書かれていたのは今でも大きな謎だ。

その隣には、うす汚れたメモがあった。「ビーフストロガノフの作り方」。一度ババァはこのメモを見て、その料理を作ったことがある。ロッテから新しく出た、肉味のガムかと思った。とにかく噛み切れなかった。2度とババァが暴走しないように、このメモは丸めて捨てておいた。

最近ババァは英会話にはまっている。この歳になって何を思ったのかは定かではないが、勉強したいと思う心を持っているのは、大変素晴らしいことだと思う。できるできないに関わらず、挑戦しようと思ったことは、すごく立派なことだと思う。

そしてババァは英単語を羅列したメモを、例のごとく冷蔵庫に貼った。

冷蔵庫の前に立つ、という日々の習慣を、勉強に取り入れるのは、なかなか意味があるように思う。ましてやババァは主婦だ。(ガムメーカーでもある)そのメモを見る機会は少なくない。

今まで無趣味で通してきたババァが、今回限りは本気なのかもしれない。

僕は少し感心し、その英単語メモを見てみた。

一番上にババァ独特の丸文字で書かれた英単語は「rabbit」。横にはうさぎと書かれていた。ババァ、本当にこんな単語もメモしないと忘れてしまうのか?今時小2でも知ってるぞ。

本人曰く基礎が大事らしい。しかし、それにしてもラビットって。

次の単語は「小人」だった。ババァ、一体何を参考にしているんだ? この先どこでこんな単語を使うつもりなのだろう。基礎はどうしたのだろうか。

次の単語は「少女」。

ババァ、不思議の国にでも行くつもりか

僕は冷蔵庫を開け、麦茶を取り出した。もうメモを見る気にはならなかった。

しかし僕はこのメモを剥がさない。例えそれに意味がなくても。冷蔵庫に重ねられ、増え続けるメモたちをもう剥がそうとは思わない。

そんなことをしてしまったら、一番下に貼られた写真が出てきてしまうのだ。

ババァは隠しているつもりなのだろう。でも僕は知っている。

一度冷蔵庫に貼られたメモやらなんやらを勝手に全部剥がした事がある。というより、どれだけの量が貼ってあるか調べてみたくなったのだ。そのときに偶然見つけてしまった写真。

数々の文字に埋もれた、鮮明な色。

僕は剥がしたそれらをすべて元通り貼りなおした。ババァにとってのキャンヴァスを勝手に汚してしまうことが、すごく悪い事に思えた。

全てが一度剥がされたことなどババァは気づく様子もなかった。

写真。

遠い昔に家族で撮った写真。

親父と兄貴とババァと僕。

ババァがアップ過ぎて、兄貴も僕も半分ほどしか写ってなく、親父に関しては手しか写っていない本当に親父かどうかすらもわからない

ババァが少し頭を冷やしてくれることを祈る。

ホラ、冷蔵庫が大きな口を開けているぞ。

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2007年2月 5日 (月)

風邪の夜だから

 まだ風邪が治らない。一人暮らしの風邪は寂しいものだ。ボーっとする頭の中に懐かしい記憶が巡る。

 小さい頃、風邪をひくと、よく母がおじやを作ってくれた。おじやには卵とたくさんの野菜が入っていた。普段の食卓には並ばないメニュー。風邪をひいていても食べやすいように、との優しさだろう。
 小学生だった僕は風邪をひくのが少し嬉しかった。学校を休んでテレビを見てていいだなんて! 胸が弾んだものだ。
 それ以上に嬉しかったことがある。風邪をひくといつもより優しくしてもらえたのだ。今でもそうだが、うちの両親は共働き。朝早く学校に行く僕と、夜遅く職場から帰ってくる両親。共有できる時間が少なければ、自然と甘えられる時間も少なくなる。
 そんな母が、風邪をひいたときだけは、いつもより少し速く帰ってきてくれた。帰ってきたお母さんは僕の体温を調べ、布団を直してくれた後、台所にたつ。おじやを作るためだ。母が作ってくれたおじやを食べて僕はいつも風邪を治してきた。食べ終わった後は、いつもより少しわがままを言ってみたりして。
 だからおじやはすごく僕にとって優しい思い出なのだ。お袋の味とでも言うか。母の優しさがそのまま形になったような料理のように感じられたのだ。
 ところが僕は、このおじやが好きじゃなかった。子供は正直だ。残酷なのだ。僕は正直に「おいしくない」と言ってしまった。あの時母は寂しそうな顔をした。「風邪なんだからしかたないよ」と言った。それもそうだろう、食欲もなければ、鼻も詰まっていてろくに味なんかわかりやしない。それに栄養を考えてたくさん入れてくれた野菜も当時、まだ小学生だった僕の味覚で好きになれるものでもない。今ではわかりそうなちゃんとした理由だった。
 それでも当時の僕は納得できずにおじやを残した。あの寂しそうな母親の顔は今でも忘れない。暖色の中に一滴だけ落とした暗い色だった。
 
 そんな僕も大人になった。ある日、ふと急にあのおじやが食べたくなった。別に風邪をひいていたわけではなかった。もしかしたら軽いホームシックにかかったのかも知れない。大学に入り、一人暮しを始め、お袋の味に飢えていたのかも知れない。
 実家に帰った折、そのことを母親に伝えた。夕飯は久しぶりにおじやが食べたい。その一言が母親の心の琴線に触れたかどうかは定かではないが、母はなんだか嬉しそうな顔をしたような気がした。
 食卓にはあの時と寸分変わらない、あの時とまったく同じおじやが出てきた。たくさんの野菜、卵が落とされご飯の白いキャンパスを黄色く濁らせている。母の優しさもそのままなのだろう。親子の絆、おじや。
 あの頃と唯一違う、ちゃんと持てるようになったスプーンで、僕はそのおじやを口に運んだ。



 本当に驚くほどまずかった。体調も悪くないのに吐きそうになった。汚物かと思った。このババァ。


 「風邪とか関係なく単純にまずいわ!」 しかし大人になった僕は口にしない。
 僕はスプーンを置いてタバコに手を伸ばした。

 ババァ長生きしろよ。
  

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